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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

渇愛をなくしたならば - ウェーサーカ祭2007(6)

<前回 どこか足りない - ウェーサーカ祭2007(5)

 

そこでその、こころにある渇愛をなくしたら、その人が初めて幸福を感じるんです。

だから仏教は否定的に幸福を、皆様方の楽しみを否定しているわけじゃないんです。「そんなのはいくらやっても病気は治りません。

 

気持ちはわかりますよ。

やけどした途端、水の中に手を入れる。気持ちはわかります。

しかしそれでは治りません。水ぶくれが出ます。

 

この渇愛をなくしたならば、その幸福は、世界で天国の永遠の楽園というものがありますね、みんな信仰しているでしょう。

その永遠の楽園の幸福をまとめても、人間に想像できる一切の幸せ・豊かさ、全部まとめても十六分の一にも値しないんだよと。

 

仏教は「六天」ですからね。天国は六段階ありますからね。

そういう天国、梵天、全部一か所にまとめて、地球の人間が考える幸福をすべてまとめてみても、自分のこころにある渇愛をなくすことと比較すると、十六分の一にも値しないんだよと。

 そういうことだからお釈迦様が、どれほど幸福なことを教えたかということなんです。

 

もっと具体的に考えたほうがいいんですよ。

ちょっと一キロくらい体重が減っただけど、えらい舞い上がって喜ぶでしょう。ちょっとインテリアがきれいなレストランに行っただけで、「ものすごいおいしい!」と。雰囲気でだまされちゃって。

 

そこに若くて美しい人々がテーブルまで案内して、注文を聞いて、かなり立派なデザインのレストランであれば、なんのことなくおいしいんですね。雰囲気でだまされますからね。

(続きます

楽しみを否定せず - ウェーサーカ祭2007(7)

 

ウェーサーカ法話(2007年5月12日)アルボムッレ・スマナサーラ長老

https://www.youtube.com/watch?v=sQT_7Z4XbwA を聞いて書きました)

The Cat Who Went to Heaven (English Edition)

参考外部サイト:

巻頭法話(131) 幸福と祝福 2006年 1月

完全たる悟りをひらいた(阿羅漢)Upacâlâ (ウパチャーラー)という比丘尼がいました。この比丘尼は、サーリプッタ尊者の妹でした。

 

ある日午後、たった一人で森の中の木の下で禅定に入っていたのです。そのとき、阿羅漢尼に嫌がらせをする目的でマーラ(悪魔)が来たのです。

 

比丘尼よ、あなたはどこへ生まれ変わって快楽を楽しもうとしているのか?」

阿羅漢尼は答える。「友よ、私はどこの快楽でも期待していないのだ。」

マーラはこのように語る。(意訳)「天界はいろいろあるのではないでしょうか。三十三天、耶摩天、兜率天、化楽天他化自在天という天界がある。そちらに(生まれ変わる)希望を抱いて励みなさい。(快楽)幸福を楽しみなさい。」

 ウパチャーラー阿羅漢尼が答える。「三十三天、耶摩天、兜率天、化楽天他化自在天という天界がある。五欲に執着している者は、それらを目指す。(そちらに生まれ変わることを期待する)彼らが再び悪魔の支配下になる。(輪廻転生することになる。天の寿命が終わったら、地獄にも餓鬼道にも畜生にも落ちるという意味です)」

 

 「一切の世界は燃えている。一切の世界は煙を出している。一切の世界は熾燃している。一切の世界は震えている。震えない、動じない、普通の人に経験し難い、マーラの管轄を超えている境地(状態)がある。私の心はそちらに傾いている。」(Samyuttanikâya I-133)

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