ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

もうすぐ結婚するんですが、アドバイスをください

質問

「もうすぐ結婚をするんですが、夫婦が幸せであるために何かアドバイスをいただけませんか?」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

わがままを捨てることですよ。

結婚するというのはそういうことでしょう、結局は。

 

自分の好き勝手に生きていられなくなります。

そんなおめでたいことではないんです。好き勝手に、楽々と自由に生きていたのに、それができなくなるんです。

 

だからある面で、すごく不幸な出来事です。

しかし、それはわがままをなくしましょう、ということになってくると、そこはすごく自分の修行の場になります。

 

それから、自分勝手なやり方は終了しましたと。

人の意見も人の気持ちも、人のニーズも、理解しなくちゃいけないんだと。

どちらかというと相手のニーズをちょっと優先しなくちゃいけないんだと。「わたしのニーズは、まあいいや、措いておきます」という感じで、そういう気持ちでいれば全然問題がないんです。

 

そんな程度で十分だと思いますよ。

それで幸せになります。

 

「結婚」という言葉自体、自由がないということでしょう。「結ぶ」ということだからね。

コネを作る、環境を作るということだからね。意図的に喜んで自分の自由を捨てることが結婚なんです。俗世間はすごく「おめでたい」と思っていますけどね。

 

「おめでたい」というのは「目が飛び出るほどコワイものです」といったってもいいんですけど(笑)。

 

喜んで結婚するんだから、誰だってうまくいくはずでしょう?

結婚したいから結婚するでしょう。社会も「結婚しなさい」と押しているでしょう。社会的にも結婚して生活するほうが正しい、一人前だ、と認めるでしょう。だったらうまくいくはずなんですね。

 

なんでみんなが認めていることが、うまくいかないケースがあるんですか?

それは生命が本来、自由を探しているからなんです。

 

そちらでぶつかるんです。

自分の自由というものがありまして、生きるためにいろいろなコネを作っちゃうんですね。結婚はその一つでしょう。そうするとどうしても、どこかで対立が生まれる。

 

たとえば、会社に入る。

うまくいかないんですよ。会社に入ったら、自分の自由がなくなったということです。

そうすると、本来自由に生きていきたいという隠れた精神と、会社の決まりが対立するんです。そこは苦しくなりますよ。

 

自我があると、自由になりたいということがおかしくなるんです。

だから自由は、われわれが思っている自由ではないんです。われわれが考えている自由は自我なんです。わがままなんですね。

 

これは自由ではないんです。

わがままっていうのは自己破壊ですね。自己破壊は「自由になりたい」と同じではないでしょう。誰だって自由と思っているのは、わがままにすること。

それは自由ではないんです。それは危険なんです。

 

だから結婚する人は「わがままにサヨナラ」と言うんです。

そうすると、結婚したからと言って自由がなくなることはないんです。なぜならば本来の自由っていうのはそういうちょっとしたことでなくなるものではないんです。本物の自由はね、誰かが奪うことはできません。

 

それをわたしは「尊厳」「生きる権利」という言葉にしています。

生きる権利は奪われませんでしょう? 結婚したからと言って。それから自分の尊厳は、誰も冒してはいけないんですよ。

 

わがままは自由ではなく、その場で自己破壊にいきます。

わがままは社会が認めません。攻撃して潰そうとします。社会全体的に、生命全体的に、わがままな存在を攻撃して潰そうとしています。

 

わがままにふるまうのが自由だと思っているけれど、自由ではない。

敵を余計に作るだけ。おっかない関係を作る。全部周りがライバルで、攻撃的な関係。生きていられない。

 

ですから、自我を措いておいて、自分好みで生きているのではなくて、人のことも考えて、他人のことを理解すれば、すごく幸せを感じるんです。

(終わり)

 

関西月例冥想会 2016.09.17

https://www.youtube.com/watch?v=--FnQrWEhhQ を聞いて書きました。

 

Le Mariage Forcé (annoté) (French Edition)

関連外部サイト:

巻頭法話(124) 他人に好かれる道 2005年 6月

何十年も夫婦生活をしていながら、相手の気持ちを理解できなくて、または相手を誤解してしまって、やがては離婚ということになるのです。

手塩にかけて育てる子供たちの考え方や気持ちを、やがて解らなくなって、親子関係が断絶してしまうケースもあります。幼なじみでも、やがて喧嘩別れをする。

人間関係が破綻するということは、この世で当たり前に起きることです。しかし、皆めげずに相手を理解しようと挑戦する。

それで、見事にあてが外れる。結果として、多大なストレスが溜まる、精神的に落ち込む、生きることは苦しくなる。従って、この道は正しくないのです。