ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

【恋愛】三角関係で苦しい(3)

<前回 【恋愛】三角関係で苦しい(2)

 

感覚というのは触れることで生まれるものでしょう。

だから空気に触れるだけで「わたし」が変化しますからね。

情けないでしょう。「わたしがいるんだぞ」と。

 

もともと、自分というそれさえも成り立たないのに、ただ一時的に出来上がったシステムだけ。

「あれはわたしのもの」「あれがわたしは好き」とかね。

なんだこれはと。

だから気楽で、問題を作らないで、悩まないで苦しまないで、トラブルを起こさないで、対立をしないで、完全な安穏で生きていきたければ、「手放す」ということです。

 

Let go、なんです。

これはジワジワと実践してみたほうがいい。

たとえ自分の子供であろうが、結婚した相手であろうが、何十年も一緒にいたといっても、自分のものではないんです。

それぞれの生命に、それそれの品物に、それぞれの法則で変化するようになっている。

 

放っておく。

 

肉体に執着する恋の世界でも、いつでもそういう手放したくないというところで問題が起こる。

 

おもしろいことは、手放す、自分のものにしようとすると、法則違反だから、「生命憲法」(笑)を破ったんだから、犯罪者なんです。だから権力が奪われちゃうんです。

 

つまり、何かに執着すると、それがものすごい勢いで逃げていくんです。

全然執着しないと、蝶々が勝手に来て肩にとまるような感じで、とどまる可能性はあります。

 

蝶々がたくさんいるところに行ってみたら、蝶々がきて頭に止まったり肩に止まったりもしますよ。

取ろうともしないで腕を出していると、蝶々からやって来て腕に止まるんですね。

 

それを取ろうとするとどうなりますか?

蝶々が死んでしまうかもしれない、残酷なことをしているでしょう。

もし逃げたら、「あー」というガッカリした気持ちになるでしょう。「逃げられた」と。

蝶々が勝手に腕に止まったら、勝手に去っていくまで眺めて楽しめばいいでしょう。

 

あるいは、もっと長く留まってほしければ、自分のわがままを抑えて、手を動かさないようにジーッとしていることでしょう。

そこでも自分は何かを手放しているんです。

 自分の自由と言うものを。

そうなってくると、ちょっと長い時間蝶々が止まってくれる。

 

どちらが勝ちですかね?

網を持って蝶々を追っかけて来て、捕まえても、それで死んでしまうかも。あの蝶々の美しさはなくなってしまうでしょう。

あの楽しみが生まれないでしょう?

 

ですから、一人一人が愛着を持っちゃうと、それぞれが苦しまなくちゃいけないんです。

苦しみが三倍になっただけ。問題が三倍になっただけ。

 

人が人に愛着を作っちゃうと、それだけでもかなり問題が起こるでしょう。

 

ですから、答えは「手放すこと」です。

 

それ以上は、完璧な答えがありません。

(続きます

次回は最終回です

最終回【恋愛】三角関係で苦しい(4 )

 

<「手放すことが生きること」スマナサーラ長老との対話(2012年12月09日)

https://www.youtube.com/watch?v=xL37dMGnF9E を聞いて書きました。>

Let Go: A Buddhist Guide to Breaking Free of Habits (English Edition)

 

《お知らせ》

11月3日(木・祝)、東京のゴータミー精舎でカティナ衣法要が行われます。

 アラナ精舎のカティナ衣法要と同様に、今回もアマゾンでお布施リストを個人的に作成しました。

(本日27日で終了いたします。ご賛同下さった皆様、ありがとうございました。随喜とともに回向いたします。)

 

ゴータミー精舎(カティナ衣法要)のお布施リスト:Amazon.co.jp

【送り状に差出人のお名前が載らなかったケースがあったので(理由は分からないのですが)、

アマゾン購入画面にて「ギフトの設定」に☑チェックしていただき、お名前(匿名可)を 無料「ギフトメッセージ」欄 に記載していただけると助かります。宜しくお願い致します。】

 

また、こちらのリストのみならず、ゴータミー精舎へ各々直接お布施することもできます。

詳細外部サイト:ゴータミー精舎『カティナ衣法要』雨安居明けお布施式

 

カティナ衣法要についてスマナサーラ長老の解説

外部サイト・仏教徒が衣を布施する大法要