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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

日記はつけたほうがいいですか?

説法めも 趣味・仕事

質問

「日記はつけたほうがいいですか?」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

それにはちょっと答えにくいんですね。

日記をつけたほうがいいか、全くやめたほうがいいかね。内容にもよりますからね。

 

結構わたしの頭にアイディアが浮かぶんです。

たとえば、何かを見たら、それについてよいアイディアが出てくる。

 

くだらないテレビを見ているときも、その世界とは違ったいろんなアイディアが出てくる。あまりにも出てくるから、「これは後で使えるぞ」と思っちゃいますけど、すぐ忘れちゃうんです。次のことに頭がいっぱいなんです。

 

そこで、本当に役に立つ、インスピレーションのあるアイディアが出たら、それはちょっと忘れないように書き留めたほうがいいんじゃないかなと、わたしは何回思ったことかと(笑)。

 

携帯でも日記が書けるし、iPadでも日記が書ける。どちらも持っているしね。

買うときもその狙いがありますよ。でも、一度も書いたことがない。

 

なぜかと言うと、機器を出してプログラムを動かして書こうかなと思っていると、その世界に入っているんですね。別の世界です。それでもう、思い浮かんでいたアイディアがすでにないんです。

 

それで無理矢理に考えて書く必要はないでしょう。無理には考えません。

 

だから、とにかくなかなか何万回も書いた方がいいなという気持ちはあったんですけど、一度も書いたことがないということです。

 

たまたま、ちょこちょこっと一行二行、書いたことがありますけど、後で削除しました。面倒くさいと。

 

ですから、これはちょっと答えにくい問題でね、自分にとって忘れてはいけないこと、自分の人生論とか、経験したこと、学んだこと、そういうのを書き留めておけばいいと言いにくいんですね。

後でそれを読んでどんな気持ちになるかわからないでしょう。

 

ですから、書くならば、誰が読んでも、誰にとっても役に立つアイディアを

今日の自分の人生論は何なのかと。

 

たとえば、「今日は喫茶店で誰々さんと会いました。それでわたしはこういう考えに達しました」とか。ちょっとエピソードも書いても構わないしね。

 

自分だけのことばっかり書いて、誰かに読まれちゃうとマズいしね。

書いて、書いて、書いて、と言う人々もいますね、日記をね。ノート何百冊と書いても、死んじゃったらゼロになります。読む気もしない。「これはおじいさんの日記だ」とかね。それを考えちゃうと、また。

 

そういうことで、いいとも悪いとも、わたしにはちょっと言いづらいんですね。

言えるのは、そういうものが再び現れるようなことは、しないほうがよろしい。たとえば、人と喧嘩したことを日記に書く。あとで仲直りをしたんですけど、自分の日記を見たらまた腹が立ってくるということもありますから、そこはやっぱり、忘れるべきものは忘れるべきなんです。

 

それから、日記が義務になってくると、またストレスがたまるんですね。

書くのを楽しめるならば、すごく喜んで書くのならばいいですが、クタクタに疲れて遅くなって、眠くてたまらないのに「日記書かなくなくちゃ」というのはかえって苦しいでしょう。

 

書くならば、それが楽しみに書かなくてはいけない。

それで後で読み返しても明るい気持ちになる、自分を後押ししてくれる、というものなら書いた方がいいんじゃないかなと思います。

 

子供たちに日記を書けと、わたしも言いますけど、わたしの狙いはただ作文能力を上げてほしいんですね。

自分が思ったことをどうやって文字にするのかい、と。それは大人になってから役に立ちますからね。小学生から書き始めたほうがいいとは思います。大人になったらちゃんと文章が書けるような人間になっています。

 

それから人類にとって立派な考えを持っている人々がいる。

毎日、新しい考えやら、役に立つ考えを持っているし、そういう場合はやっぱり書き残した方が、その日その日ごとにね、よろしいかと思います。

 

まともな小説を書く人々は、毎日いろんなことを調べたりして、いろんなことを研究したりして、それぞれに書き下ろすんです。

その日のストーリ、その日のストーリー、と。

 

それであるテーマに十分書き溜まったら、小説として別に考えてまた書くんです。

立派な小説はいろんなことを調べていますから。しかし、ヤバいんですよ。インチキをへっちゃらで書くんだから。小説家というのは、インチキを書いて、そのインチキがばれないことが芸術なんです。

 

歴史っていうのはデータが揃っていないでしょう。

散漫的で穴がいっぱいあって。しかし、歴史小説を書く人々はこれを埋めるんですね。ストーリーで埋めてから、バレないようにちゃんとしたデータで繋げておく。「あの人がこんな態度を取ったのはこういうことだったからだ」とか。

相当能力がないと、どのデータを捨ててどのデータを取るべきかとわかりませんね。

 

そういうことで、小説を書く人々も一応日記は書いていますね。

そうやって分析してください。

断言的な答えではないですが、日記を書いてよい場合もあるし全く無駄な場合もあります。

 

以上です。

(終わり)

 

<「手放すことが生きること」スマナサーラ長老との対話(2012年12月09日)

https://www.youtube.com/watch?v=xL37dMGnF9E を聞いて書きました。>

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今年の日記も残りページが少なくなりました。

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