ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

生命として観る - 悲観的にみる癖をどうするか?(7)

<前回 クマは悪者か - 悲観的にみる癖をどうするか?(6)

 

そういうことで、ちょっと話がそれましたから、本題に戻って順番におさらいします。

 

だいたい人間っていうのは、ネガティブでみるほうがすごく多いんですよ。ポジティブにみる人はすごく少ないんですね。どちらでもたいしたことはないんですよ。脳にそういうループができているんですよ。

 

だから、ネガティブでみる人間はまず、ポジティブにみる訓練をする。

ネガティブでみるループが壊れちゃって、ポジティブでみるループが現れてくるんですね。

 

それから、初めはネガティブにみるループは全部壊さなくちゃいけない。

 

それからなんでも、ポジティブアプローチでみる。

そして、客観的にみて、そんな調子に乗っても、わたしたちの感情でうまくいかないから、ありのままにみながら、二番目の性格を作るんですね。

 

それができたところで、三番目の性格が現れてくるんです。

ネガティブでもポジティブでもみようとしない、いわゆる価値観を入れないということ。

 

これは人間の脳ではできない。不可能。

そこで、人間の次元を破らなくちゃいけない。破ると、ほんとうの、ありのままの姿が見えてくる。

 

だからその前に、俗世間的にありのままを見られなくてはダメなんですね。

俗世間的には、クマもいますし、キツネもいるかもしれませんよ。ハブもいるかもしれません。それなりにアプローチを自由自在に変える。

 

二番目の人は、ハブを見たところで怖くなっちゃって「ギャー!!」とは言わないんですね。

見たところで「別に」と。でも、いじめないほうがよろしい、ということで立派な状態になってくる。

 

そこでさらに世の中を観察してみると、生命であるとみえるんです。

生命ですよ。ハブも、犬も猫も、人間も、みんな生命なんです。

 

生命としてみると、ネガティブでもポジティブでもみられなくなっちゃいます。

それぞれの生命体は、それぞれに決まった生き方をしている。これは善でも悪でもないでしょう。

シロアリが皆様の家の柱を食っちゃったからと言って、シロアリが悪いことをやっている? 悪いことはやっていないです。シロアリという生命が、木を食べるんです。

 

仏教は真理を発見しました、というんですね。

真理とは、すべての現象は無常で無我であるということ。一切の現象は。自分も含めて。そのときが、アプローチが現れるんじゃなくて、アプローチが消えるんです。

 

感想が生まれるんじゃなくて、一切の感想が消えるんです。

自分ということも消えてしまいます。それで無限ということになってしまいます。これで安らぎが生まれてきます。

 

自分と他人がいる限りは、安らぎはないんです。

自分がいる場合は自分のアプローチがあって、他人がいる場合は他人のアプローチがあります。このアプローチを交わさなくてはいけないんですね。

 

波が生まれるんです。

生まれないわけじゃない。

 

猫を飼ったからといって、安らぎが生まれるわけではない。

猫には猫の生き方があります。人間には人間の生き方がある。それがぶつかるんです。

 

人間があほだから、猫に合わせるんですね、性格を。

それで幸せだと思っています。しかしそれは幸せじゃない。自由がなくなったんです。人間のレベルが、落ちただけです。

 

昇格するはずの人間が、進化するはずの人間が、ある程度で、退化しただけです。

この言っていることが本当かどうか、調べてみてください。犬を飼っている人々を。犬のために生きているんです。

 

それで、一切のアプローチが消えると、ほんとうの安穏、安らぎが生まれてくる。

これは壊れない。自分がいないんだから。他人もいないんだから。壊れる理由がないんです。

そこは皆さんの脳では理解できないセクションです。

 

それで十分でしょう? 順番で理解すれば。

(次回は最終回です

【最終回】悲観的にみる癖をどうするか?(8)

 

スマナサーラ長老 東京法話と実践会 2016.10.30

http://www.ustream.tv/recorded/92526227 (期間限定公開)を聞いて書きました。》

Never Take a Bear to School (English Edition)

 

第一回目を読む:

thierrybuddhist.hatenablog.com