ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

孫育て 自分育て

質問

数か月前から娘家族と同居を始めました。平日は孫育てをしています。

一歳と三歳の孫を世話しているんですけど、三歳の子が自我が出て来て、先ほど長老がおっしゃっていたループにはまりそうな感じがします。アドバイスをいただけたらと思います。」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

先ほど「万引き」の対処法を教えたでしょう。*1

それと同じやり方なんですね。

 

いい悪いじゃなくて、本人に気づかせるしかないんです。

「悪いことをやっていて楽しいですか?」「どんどんやったらどうなる?」とかね。本人に聞くだけです。

 

昔、小さな子供がお寺に来ていました。

ものすごくケンカするんです。相手の服を破っちゃって。みんながその子を捕まえてわたしのところに連れてきたんです。お坊さんが怒って怒鳴ったらなんとかなるだろう、と思っているんですね、大人たちが。スリランカだからお坊さんの力が強いしね。

 

わたしは知っていましたから、その子はすごくいたずらをする子供だと。

その子自身の身体も泥だらけになっちゃって、服はハチャメチャで。

 

その子を連れてきた大人たちに、

「この子を洗ってやってください」と。

いたずらした犯人なんですけど、大人たちは仕方がなくその子をきれいに洗ってあげました。

その日はお寺で行事がありましたから、結構いい服を皆が着ていました。

そこで、

「このままの恰好ではあなたは参加できんでしょう? 家に帰って着替えておいで」と私はその子にいいました。

 

それでその子は走って家に帰って、それで問題は終わりです。それからあの子はケンカをしなかったんです、誰とも。

 

「なんでお前はほかの子の服を破ったのか? なんでそんなことをするのか?」と言うのは、わたしの世界ではないんです。

その子にとってループができちゃってやっていることだからね。それとは別の世界をなんのことはなく教えてあげたんです。

 

ほかの大人たちが不満でいたかもしれませんけど、わたしはあの子の性格を直してあげたんです。それからケンカしなかったんですね、大人になるまで。

 

もう一人の子供がいて、その子は精神的に何か問題があって、すぐカッとなって怒るんです。

ものすごい暴言を吐くんですね、親に向かって。親は品格のある人たちで、下品な暴言を突然子供が言い出しちゃうと、どうしたらいいかわからなくなってしまいました。

 

子供自身が、自分の乱暴な性格を悪いと知っていたし、直したいと思っていたしね。

わたしのところに何人か子供たちがよく遊びに来ていたんですね。そのグループはお寺で長い時間、わたしと遊んだりしているから、その乱暴な子供も無理矢理仲間に入りたがるんですね。入りたがるんだけど、元々のグループの子たちは仲良く穏やかに遊んでいるから、わたしとしてはその乱暴な子が入っていいとも悪いとも言えないんですね。

「こいつが入ったら全部壊れるんだよ」とわかっていても、「あんたダメ」とも言えない。そこで無視したんですね。

 

その子は無理矢理グループに入って来て、それでもうまくいかない。

しかも、「自分が一番かわいい」と思ってほしいという願望がある。わたしは誰に対しても、「あなたはすごくかわいい」ということは絶対に知らせないようにしているんです。子供たちは、わたしが誰を一番かわいがっているかわからない。

 

それで、ある子にわたしは何かを教えていたんです。

その子は下手でなかなかうまくできなかったんですね。そこでもう一回やる。わたしが「そうじゃなくて……」と言っている間に、乱暴な子が割り込んできた。それで、すごい暴言を吐いちゃったんですね。

 

そこでわたしは、なんのことなくその子の顔を見て、「それって君、頭がいいやり方?」。それだけ。

 

それってどういうことでしょうか?

その子は実際に頭がよくて勉強がよくできる子でした。

わたしが言ったあの一言で、その子の脳がカチンと変わっちゃったんです。

その子がわかったことは、「確かに自分は頭がいい。ほかの子より勉強がよくできる。だからそれなりに表現しなくちゃいけないんだ。すごい暴言を吐いちゃうと、頭のいい人にとってはふさわしくない」と。

言葉ではなく、脳が決めちゃったんですね。たったそれだけ。

 

それからはびっくりするほど性格が良くて。わたしもびっくりしたんです。ここまでいい子になるのかと。

 

青年になったところで、みんなにいいことを教えてあげたりして、リーダーになったんですね。

 

だからお互いに信頼は未だにあります。

今はオーストラリアに住んでいるんですけどね。結婚して子供がいてね。今でもたまに電話をかけちゃうと、すごく仲良いんです。

 

きっかけは、たったひとつの言葉です。

 

だから、善人、悪人という気持ちでは成り立たない。

「これが悪い!」と言っても。悪いんじゃなくてその子にとっては仕方がなくやっていることで、それを教えてあげただけ。

 

一つの言葉で教えるのは、すごく能力が必要ですよ。

だから、われわれは自分の宿題をやらなくてはいけないんですね。

人に教えるというよりは……。

孫がいるんだからと、孫を躾するよりは、自分自身を躾ないとね。

 

なんでも自分の宿題であると受け止めたらどうでしょうか。

孫に何かアドバイスをするんじゃなくて、これは自分に対してのことだよと、自分でどうやって解決するのかと考える。

 

子供は、こいつは悪い子でこいつはいい子、と俗世間的にみるとそうなりますけど、自分の宿題として、そうみてしまう自分が悪いんですね。

平等にみられない自分が悪い。

そこで平等にみてみると、すぐに答えが出てくるんです。

(終わり)

 

スマナサーラ長老 東京法話と実践会 2016.10.30

http://www.ustream.tv/recorded/92526227 (期間限定公開)を聞いて書きました。》

 

 

《お知らせ》

あす20(日)は兵庫県のマーヤーデーヴィー精舎にて自主勉協会があります。

内容を、フェイスブックより引用すると……

勉強会のテキストは前回に引き続き、スッタニパータ 第五「彼岸に至る道の章」二、学生アジタの質問のパーリ経典解説を聞きます。今回が後半部分です。難しい内容ではありますが、何か自分にとっての気づき・発見があるかもしれません。解説を視聴後、皆さんで感想など話し合います。ぜひご参加ください。 

この「後半部分」が今回の解説の肝だと思いますので、足を運べる方はぜひぜひ。

講座終了後、「ここまで言っちゃっていいの?」というつぶやきが参加者から漏れたほどの、際ッキワな解説でした。