《スマナサーラ長老法話 関西定例冥想会 2016.11.13
https://www.youtube.com/watch?v=FKgZ8djfv40&feature=youtu.be
を聞いて書きました》
わたしたちは買い物で店に行ったら、たとえばニンジンがありますね、何も見ないで買い物かごに入れるわけじゃないんですね。ちょっと選んで、これではなくこっちだと決めて、かごに入れる。
服を買うときは、いろんなものがある中で、「これがいい」と選ぶんです。
あれは基準はなんですかね? なんでそういうふうに選ぶんですかね。
いいものを選びたい、ということでしょう。
次のポイント。
では自分が選んだいいもので幸せになったんですかね?
ニンジンの山から、これと、これと、これ、と選んだとする。
おいしいものを選びたいでしょう?
しかし、おいしいと保証がある?
自分が選んだニンジンがおいしくて、残りはまずいですか?
もしかすると選ばなかったほうに、一番おいしいニンジンがあったかもしれませんね。
この問題は、人生にずーっとあるんです。
服を買うときもね、「これが自分にとって一番いい」と選んだんだけど、自分が選んだものが最高のものだという保証もないでしょう。
これも一つ生命の法則なんです。
このポイントは人生全体に向けて考えてみてください。
生まれてから死ぬまでいつでもそのやり方です。いいものを選ぶ。が、保証はない。選ばなかったものがもっといいものかもしれません。
選んだものによって、期待した保証が得られたかどうかと、その保証はない。
これは人生全体のことなんです。
われわれだけじゃなくて、すべての生命がそうなんです。野生の動物も、木の実を選んで食べていますよ。しかし選んだ木の実がおいしいという保証はない。木の実を食べたんだからと言って、その動物が期待した幸せに達するかどうか、それも保証はない。
それが人生に限らず、生命の法則です。
(続きます