ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

脳を支配するもの - 最善の選択(2)

《前回 最善の選択(1)

 

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では選んだのは誰ですか。決めたのは誰ですか。

レストランのメニューには、結構あるんですね。わたしは食べるよりもメニューを見るのが楽しいけどね。ファミリーレストランとか、ぶ厚い本みたいなメニューを持ってきますが、それを見て、「楽しかった。ありがとうございます」と帰るわけにはいかないしね(笑)。

 

たとえば、二十種類の料理がある。そこから一つか二つ選ぶ。どうやって選ぶんですか。

 

そんなに難しくはない、「わたし」が選ぶんだから。

しかし、「わたし」って何ですか。

 

これで大雑把に「わたし」というんだけど、十年前までの医学世界では、なんでも判断するのは脳みそだと言っていました。

わたしはこの考えはずっと間違っていると言っていたら、日本人に馬鹿にされて、ひどい目に合うということもあったんだけど、それでも一応言い続けていました。

 

それで最近になってから、脳科学者がまじめに実験したら、十年前とは別の結論になってしまったんですね。

 

脳みそがすべてを決めるならば、リンゴを四つ並べたとき、常に同じリンゴを複数の人が選ぶはずです。

あるいは、時間をずらして、同じ人にどのリンゴを選ぶか聞いてみる。毎回同じリンゴを選ぶわけではない。脳がすべてを決めているのなら、同じリンゴを選ぶはずなのに。

 

店でメニューを決めるときは、「昨日はこれを食べたから今日は違うものを」と選ぶ人もいるし、「昨日はこれを食べた。今日も同じでいいや」と選ぶ人もいる。

それは脳が変でしょう。

 

結局、脳というものは、誰の脳も同じなんです。

同じだったら車でも同じでしょうにね。二人が同じブランドの車を買ったら、ナンバープレートがなければ「こちらはわたしの車」とわからないくらい見た目はそっくりでしょう。

そうやって機械的に選ぶのなら、不確定に選ぶはずがないんですね。脳がなんで不確定に働くんですか。

 

そこでもう一つ根拠を持ってこなくてはいけなくなるんです。

人間の、生命の生き方と言うのは、不確定なんですね。ある程度ではわかるんだけど、ぴったしはわからない。

 

猫だったらある程度で猫ですよ。

ゴロゴロと喉を鳴らしたり、泣くときはニャン、ですし、そういうところは猫は皆似てますけどね。専用の爪とぎを置いておいても、やっぱりソファーでやっちゃうしね。そういうところはあるんだけど、どの猫も、工場で作った車のように同じですか?

 

だから不確定と言う理論が生命にはあるんですね。

科学者には手に負えない。だって数字でデータが取れないでしょう。測れないでしょう。だから、人がラーメンがあるのにうどんを選んだ場合は、そこには科学的な説明をしないんです。

 

そういうことで、ニューロサイエンスの人々は、自分と言うものが脳の中にない、「わたし」は脳の中にないんだ、ということになった。なんだこれは、と。

 

「わたし」という言葉に「self」自己、という言葉をあてると、これはまずいんだから、なんのことなく「mind」こころ、という言葉を使っています。

 

そこで、こころが、脳に指令する。

脳が身体に指令する。

 

そいう三段階で、現在のニューロサイエンスは説明しています。だから脳って大したことはない。今まで、脳こそ神様だと言っていたのに、脳って実はたいしたことがない、こころが指令したらその通りにやる。

 

しかし、こころはグルグルと変わるでしょう。

不確定なのはこころなんです。だから脳は固定していない、瞬間瞬間変わっていることをその通りにやっている。

 

性格のよい家族に生まれた赤ちゃんが、立派な社会人になるかどうかわかったもんじゃないんです。

犯罪を犯した家族に生まれたら、その人は犯罪を犯すかどうか確定はありません。脳がどのように変化するかわかったものじゃありません。こころの指令で。

 

そこで、やっていること、環境からくる刺激で、こころは次のことを判断する。

だから、たとえばケンカした。負けちゃってすごく悔しい、と。

脳は別に悔しくないんです。脳は指令通りケンカしてあげただけ。ケンカするために必要なアドレナリンやらを出して、心臓を動かして血液を流して、ずっとは続けられませんから、毒ですから、「ここでストップ」と言わなくてはいけない。その次に毒消しの化学物質も出さなくてはいけない。

 

それでケンカに負けて悔しい、と思ったら、その人が次にとる態度はなんですか?

ケンカに負けちゃって、悔しくて、プライド傷ついちゃって、次どうする? 

 

その人がどうするかなんてわからないでしょう。

次のことを予言できません。

 

ある人が臆病で、鼠のように生活することにする。

ある人は、「みんなが言う通りにやればいいや。自分が考えちゃうとケンカになっちゃうから」と人間ゾンビになる。

もう一人は、「負けてやるもんか」とケンカの訓練をする。凶暴な人間になる。モンスター人間になる。

 

まれな人が、「なんでケンカになったのか」としっかり考えて、「今度はしっかり判断しなくちゃいけない」と自分をより良い人間にするプログラムを作る。

 

この幾通りもの道の、どちらに行くんですかね。わからないんですよ。

 

人間鼠になるか、人間ゾンビになるか、人間モンスターになるのか、ちょっとまとも人間になるのか。

 

ある出来事に対して次に起こす次のステップ。次のステップが必ず悪い。結果が生まれないということはありえない。

それも、脳がやっていないんです。

脳がやっているんだったら、誰だって同じ反応をするはずなんです。

それもこころが、決めているんです。

 

そういうわけで、われわれすべての人生の管理者は、支配者はこころなんです。

こころの奴隷なんです。

(続きます

世界を支配するもの - 最善の選択(3)

 

スマナサーラ長老法話 関西定例冥想会 2016.11.13

https://www.youtube.com/watch?v=FKgZ8djfv40&feature=youtu.be

を聞いて書きました》

 

参考過去記事:

「一切の感覚が苦である」とはどういうことですか?|Buddha’s brain

質問者

「『一切の感覚が苦である』とはどういうことですか?」

回答(スマナサーラ長老)

お釈迦様は、科学的に説明しています。最近はBuddha’s brain*1

という本が出ていましてね、……