《前回 支配者はこころ - 最善の選択(4)》
それから、「よくわからない」ということもあるんです。
リンゴを選ぶときでもニンジンを選ぶときでも、「あなたの選んだニンジンが、このニンジンの山の中で一番おいしいんですか?」と聞かれたら、わからないでしょう。わからないくせに選んだでしょう。でも、選ばなきゃ買えないでしょう。
わたしたちは決めなくちゃいけない。
ニンジンを選ばなくちゃいけない。選ばなきゃ買えない。選んだけど、自分が選んだニンジンがおいしいかどうかは、わからない。
お釈迦様がおっしゃっているでしょう。
生命は無明で生きているんだと。無明でやっちゃうといつでも不安が出てくるでしょう。「ああ、納得いかない」「不安」「もうちょっといいものはないのか」と。「今度選ぶときはいいものを選ぶぞ」と思っても、選べる? 選べませんよ。今度も同じこと。
だいたいみんな、食べ物でも、色と形で決めるでしょう?
でも、色が食べられる? 形は壊しちゃうんだから、食べるときは。いつでもみんなそうなんですよ。キャベツでもニンジンでもジャガイモでも。色と形で決める。色を食っているわけじゃないし、形を食っているわけじゃないし。
台所で調理したら、あの形を保っていないでしょう。
ということは判断基準を間違っていますね。
間違っているけれど、それから抜けられる? そういう世界なんですよ、これが。抜けられません。
だからいつだってわれわれは、選択はする。
瞬間、瞬間、決めていく。一つ選ばなくちゃあかんでしょう。その選んだものこそが大成功と言える? 言えない。
いつでも、判断しなくちゃいけない。
しかし、この判断がピッタリ正解ということはない。だから選ぶときは、「わからない」ということがあるんですね。ということは、選び方が科学的じゃないんです。
微妙に選択を間違えないと言えるのは、何かを100グラム必要だ、という場合はそんなに問題は起きませんね。あまり命に関係ないところは。たとえば木材をくっつけるのに、接着剤を何十グラム必要です、となったら、その木材に最適な接着剤を選べます。
(続きます
《スマナサーラ長老法話 関西定例冥想会 2016.11.13
https://www.youtube.com/watch?v=FKgZ8djfv40&feature=youtu.be
を聞いて書きました》
参考外部サイト:
Q: 無明とは何ですか?
A: 無明というのは、ものすごく巨大な暗黒状態、暗闇と考えるとよいでしょう。
その巨大な暗闇に、生命が覆われているということです。暗闇のなかにいると何も見えませんね。ですから我々は、何でも手探りで触って、何とか理解しなければなりません。
智恵という光があれば見えるのですが、人間にあるのは『知識』だけなのです。
知識というのは、ひとつのものについて、様々な意見が出てくるようなことです。
たとえば第二次世界大戦に日本は参戦しましたが、それは正しかったか正しくなかったかと聞くと、いろいろな意見が出てきますね。そのように、「これ」という答えの出ない状態は、知識の世界なのです。……