前回 はスマナサーラ長老の講演会「莫妄想と考える力」の全体を聴いた感想など書きましたが、今回は法話のメインからちょっと外れた、こぼれ話をいくつかご紹介します。
自分の走り書きメモの中に、「おもしろい」(興味深い、という意味です)とマークされたものがあって、そこからいくつか選んでみます。
まず一つ目。
妄想が肥大化すると、死んでしまうこともある。
自殺もその一つ。
今の苦しみに耐えきれなくなって死を選ぶ。
すると、さらに苦しみに耐えられる《体》ができる。
仏教で「地獄に堕ちる」とはそういう意味。
生き続けたいという強烈な意欲(サンカーラ)があるので、妄想で発生する苦しみが現在の入れ物(体)のリミットに達すると、より耐性の強い入れ物(体)に移動していくということです。
地獄の絵が昔から書かれていますが、地獄のみなさんが、グロテスクに痛めつけられてもなかなか死なない(死ねない)のはそういうことだったのですね。
そして二つ目。
発表などでしゃべるとき、かなり緊張する人がいる。
これは間違いなどを指摘されたら自分のプライドが傷つくと思って、緊張している。
解決法がある。
結論を保留にすることで、緊張しなくなる。
人間にはすべてのデータを揃えることはできない。
よって結論が間違う可能性は常にある。
そこで、間違いを指摘されたらすぐに検討、その結果によって結論を修正する。
自分が達した意見に執着しないことで、しゃべるときの緊張から解放される。
緊張は「悼挙(じょうこ。混乱状態で落ち着かないこと)」がせっせと働いているために起こるそうです。
じょうこは五蓋(ごがい)のうちの一つです。
五蓋は、1.欲、2.怒り、3.悼挙と後悔、4.昏沈睡眠(こんちんすいみん)、5.疑(ぎ) で、この五つの重い蓋が外れることでこころが成長します。
(参考外部サイト:巻頭法話(176) 解脱は大革命です )
最後に三つ目。子育てのこと。
感情に乗らないこと。
子供に怒ったなら、そのときはしゃべらない。
再び子供のことが「かわいい」と思ったら、それからしゃべる。
「あの場合はこうしたほうがいい」など、淡々と冷静に。
これは子供相手だけでなく、対人関係全般に言えますね。
相手に怒っているときは口を開かない。
相手に慈悲を感じられるようになってから、しゃべる。
このステップを、肝に銘じます。