なぜ人は祈るのでしょうか?
パーリ経典解説《スッタニパータ5彼岸道品3学生プンナカの問い》 のなかの、スッタニパータ1052.(PTS.1046)で、お釈迦様が、祈祷することで生老病死は乗り越えられない、とおっしゃっていました。。
それでも、わたしはまだ他人事のように聞いていました。
「わたしは祈ったりなど神頼みはしていないから」と。
しかし、スマナサーラ長老の解説が進むにつれ、次第に雲行きが怪しくなってきます。
それはこんな内容でした。
1052で、お釈迦様は、宗教は一切ダメだ、何の役にも立たないといっています。
祈る人々は、Kāmābhijappanti 「欲」を追い求めているんです。
学業成就の祈願も結局金儲けを期待している。しかし金儲けの道と知識の道は正反対なんです。二者択一しなくてはいけない。現代はアメリカ的に、知識人になって金儲けしようとしているが、中途半端な人間ばかり。
「え? 子供の学業成就? そうか、それも ″祈り” か」と、ここで初めて「自分も祈ってるじゃん」と気づいたという……(汗)。
現代人は現世利益といったとたん、金だと思っている。
お母さんたちだけ、学業成就と考えている。自分はバカですけど、子供には頭が良くなってほしいと。
ときどき、お母さんたちはバカじゃなくて、ちゃんと大学も出て知識人ですけど、自分でも学問が役に立たなかったということに気づかないんですね。
自分も若いときには必死で勉強して、男にはかなわないくらい成績がよくて、いまこのざまやと。今は子供を連れて幼稚園に行っている。それで子供には勉強してくださいと。
なんか人類っていうのは、すごいいい、漫才になってしまう(爆笑)。
一緒に爆笑しましたww
学業成就は、そこで何を考えているんですかね。
頭がいいことを期待していないんです。それで結構儲かるんだよと。
世の中の自然の流れを気にしない。世の中の超知識人、超インテリになってくると、金に興味がないんです。
だから、金か知識かどちらか選ばなくてはいけません、存在の流れで。
両方備わってこないんです。性質が正反対だから。
金儲かるためには、おそろしく、人間にふさわしくない、残酷で欲張って競争して戦っていかなくてはいけないんですね。
知識というのは、世の中はどうなっているのか、人間はどうなっているのか、人々をより幸福にするためにどうするべきかと研究する世界です。
そこは金が入る世界ではないんです。だから現実的にみると、どちらかを選ばなくては。
バカで金持ちになるか、すごく頭が鋭くて貧乏になるかと。
ズバリ、みなさん、どちらがいいですか?
仏教のインド文化は、知識人になるほうを選んでくださいと。貧乏でいいんだよと。
西洋文化になってくると、知識人になって儲かりましょうと。アメリカンドリームとはそういうものです。だから曖昧中途半端で、現代のロクでもない世界が現れました。
さっきの質問に「中道で……」とお答えになった方(自分もですが)、上記の理由で、残念でございました……。
(仏教文化では)知識人は、それほど金持ちじゃない。
そうすると、金持ちがだんだん恥ずかしくなっちゃうんですよ。残酷に金を儲けたんだけど、みんなこの人を尊敬している。わたしに問題があったらこの人に聞かなくてはいけない。そういうことで、その人々も落ち着いて、やっぱり金を人々のために使うことになっちゃう。
そこで、バランスを整えてしまうのです。
だから、1054.でお釈迦さまは、Saṅkhāya 信じるんじゃなくて、祈るのではなくて、観なさいと。観察しなさい、観なさい。
人間は観察しないで、ただ希望だけで生きている。美人と結婚したい、社長と結婚したい。子供に〇〇ができてほしい(などなど)
悟りの境地は、なにものに対しても「もうちょっとこうなったほうがいいんじゃない?」という気持ちがないんです。
いかなるものにも、こうなってほしい、こうなってほしくないという気持ちが消えたら。それじゃ生きていられないと反論があると思いますが、そうです。もう生きるということを超えているんです。われわれの価値観で悟りを判断できません。この悟りの境地を自分の心を比較してみてください。
因縁によって雨が降る。雨が降ってほしくない、どうしたものかと思うと悩み苦しみが生まれてくるんです。こころに揺らぎが一切消える。そこで存在を超えているんですね。
(説法めもはここまで)
ああ~、自分も祈ってたのか。
と気づいてしまいました。
もう自分自身のことが可笑しくて、笑うしかありません。
子供の学業成就だけではなく、子供(家族)の無事はわたしたちの悲願ですね。祈らずにいられないものです。でも、厳しいけれどそれも、「観察しないで希望だけで生きている」ということに反論できないのでした。
それで、このお話を思い出しました。
ジャータカ お釈迦様の前生物語 連載62 「無常を観る者」の物語
より理性的に、より実用主義的に生きるために、人はどのように思考の管理をすれば良いのかと教えてくれる物語です。「生まれるもの、生起するものは、ことごとく壊れていく性質である」と観察するのです。
生きるということの残酷さを観たうえで、だからこそ、「命あるものはみな幸せに」という思いが立ちのぼってくるのです。
(余談: 超難しい経典も、こうやって自分の生活レベルまで引き下げて考えるとヒトゴトじゃありませんね。それもスマナサーラ長老の解説のおかげです。サードゥ サードゥ サードゥ)
(本文中に紹介した物語は入っていませんが、このジャータカ本もおすすめです。)