今年106歳になる日野原重明医師の自伝エッセイ。
鈴木大拙の最期をみとった医者は日野原氏だったそうだ。先日ここでもご紹介した「東京ブギウギと鈴木大拙」にも書かれていた。
鈴木大拙は腸閉塞で重篤な状態になって、聖路加病院に入院したという。
私は「病気はずいぶん重いのです」と率直に伝え、「最善を尽くしますよ」というと、先生はうなずいて、感謝の気持ちを示されようとする。痛みを訴えることも控えめで、私が「苦しいでしょうね」と聞くと、黙ってうなづかれるのだった。(160p)
その晩、大拙の容態が悪化した。
秘書とごく数人以外は面会を断り、様々な応急処置が続く。
翌朝午前3時、私は「部屋の外で待っておられる方々にお会いなさいますか」と尋ねたところ、「誰にも会わなくてもよい。一人でよい」と答えて、目を閉じられた。
大拙先生の ”生” の終焉は静謐(せいひつ)そのものであった。(161p)
大拙には、一人息子の例のアランや、80歳のアメリカ滞在以来彼を支えた若い女性秘書もいたが、最期は一人を選んだ様子がわかる。
ところで日野原氏は、ご自身でも「私の一生はちょっとした日本の近現代史のようでもある」と言われている通り、その経歴に目を見張る。
何しろ太平洋戦争が始まったとき渡しは30歳。
日本があれよあれよという間に軍国化していった様子をまざまざと覚えている。東京大空襲も玉音放送も。そして復興から高度経済成長に至る中で、1960年代後半の学生紛争に私は関わっていたし、よど号ハイジャック事件に巻き込まれた。バブル崩壊後に起きたオウム真理教による地下鉄サリン事件にも、聖路加国際病院で対処している。(11p)
歴史上の大事件で現場にいた当事者なのだ。
さらに医者として1000人以上の患者の死を看取り、親や親せき、長年連れ添った妻もすでに看取ったそうだ。
キリスト教の牧師の家庭で育った著者は、リトリートを日課とし、若いころから他者のために尽力している。
本書のエピローグのタイトルは、「人生はクレッシェンド」。
著者は2020年の東京オリンピックが「今からとても楽しみにしていること」だという。