重力が重いほど、時間の流れはゆっくりになるそうです。
と、このラジオ番組で聞きました。宇宙物理学者の大栗博司さんが、アインシュタインの相対性理論をもとに重力のことを語られています。
マンションの1階と10階に住んでいる人を比べると、10階の人の方が時間が早く進むので、その分早く老けるそうです。
(とは言っても、1階と10階の差くらいではごくわずかなものでしょう)
ブラックホールに近づけば近づくほど重力が強くなるので、時間の流れが遅くなることが実験して分かったそうです。
たとえば、一人の人がブラックホールに向かって地球を出発したとします。地球の友人に「毎日メールするよ」と約束して、初めのうちは約束通り毎日メールが届きますが、そのうちメールが来なくなるそうです。発信者はきちんと毎日メールを出しているにもかかわらず、です。
何故そういうことが起こるのかというと、ブラックホールに近づくほど重力が重くなり、時間の流れが遅くなるので、同じ一日でも地球の一日と進む速度が違ってしまうのです。
ところで、仏説によるとカッサパ如来の時代は人間の寿命が今よりとても長かったそうです。*1
そこでふと、カッサパ如来の時代は重力が重かったのでは……?なんて思いました。
今の地球よりブラックホールに近かったとか、重力の重い星だったとか。
物理学は仏教徒にとって麻薬のようかもしれません。
仏教と物理学の親和性は高いにもかかわらず、仏教は生存欲に逆らうベクトルですが、物理は生存欲の応援団がついていますから、似ているのに本能を逆なでしないのですね。
そんなことを思ったのは、大栗博司教授のラジオインタビュー後半篇で、宇宙と仏教の関係について聞いたからなのです。
「生きることに意味はない」ということが物理学からもわかってきた、というお話でした。それで、「目的が設定されていないなら、自分で作ることができる!」とポジティブに考えられるという趣旨だったと思います。
(後半篇の放送ログが公開されたらもう一度聞き直してみます)
これを聞いてあれっと引っかかったのですが、「ない」ものは「ない」から、「つくる」となるとはじめから「ある」ということになってしまいます。
0(ゼロ)は0で、0を1にするというなら、そこにはもともと1があったのです。だから矛盾ということになります。
仏道では、「生きることに意味はない」ということで、諦めて「ある」を捨てる。
すると、ポジティブやネガティブという尺度で測らないところに至るということです。
だから物理学は仏教徒にとって麻薬みたいな働きがあるかもしれないなぁ、などと感じた次第です。
実際、麻薬は医療用として欠かせないものです。大切なのは使い方ということかと思います。
こちらが科学と仏教の関連性についての本ですね↓