「女性は覚れないのですか?」とアーナンダ尊者がブッダに聞いた質問は、ジェンダー問題を超えてサンガの民主化にとってとても重要なものだった、ということなどが書かれたコラム。
「ダンマは民主的ですか? ブッダのラディカルな包括性が示すもの」
釈迦牟尼ブッダの育てのお母さんであるパジャパティ・ゴータミー妃が出家を願い出たとき、ブッダは拒否しました。
が、そばにいたアーナンダ尊者が、
「女性は覚れないのですか?」
「女性も覚れます」
と答えたことから、
「出家を認めないことは、女性に悟りの道を閉ざすことですね」*1
と、アーナンダ尊者に一本取られたブッダ。これを機に女性の出家が認められたと言われています。
この一件は、当時の社会やサンガの民主化に大きく影響したと、このコラムでは書かれています。
さらに、民主主義にはもともと、その構成員として誰を迎えるか、また誰を外すのかという闘争が常に内在しているのだ、と。
だから真の民主主義を期待し、それに絶望するのではなく、時代の条件によって絶え間なく変化する産物として理解し、民主主義そのものには固定化された資質はないのだ、とも書かれています。
そういう意味で、「Prajapati(パジャパティ・ゴータミー妃)は当時、誰よりも民主主義を理解していたんじゃないだろうか」と著者は述べています。ゴータミー妃は、出家したことでやはり相当ご苦労が多かったそうです。でも、ゴータミー妃しか、お釈迦様を動かせる方はいなかっただろうし、そういう意味で女性が出家する唯一のチャンスだったのかもしれません。と同時に、サンガという民主社会のメンバーに女性を(しかもカーストを超えて)参加させるきっかけになった、という大きな転換になりました。
民主主義というものそれ自体が移りゆく性質のもので、寄りかかることができないならば、何を指針に社会を構築していけばいいのですか?という疑問は当然出てくるでしょう。
そのヒントとなりそうな一言が、本文に。
We are all equals in our experience of suffering and our desire to get free from it.
わたしたちは、「苦」があるということ、そして、それから自由になりたいということにおいて、みな平等です。
人種、ジェンダー、国籍、さまざまな違いはあれど、ブッダのいう「苦」をめぐる葛藤において、みな同じ。
他者とのネットワークをつなげるには、この視点は不可欠なのです。
「わかっちゃいるけど……」という、これも高難易度クラスではあります、ね。