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Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

スッタニパータ5彼岸道品 学生メッタグーの問い

スマナサーラ長老による経典解説「スッタニパータ5彼岸道品 学生メッタグーの問い」が、下記で現在動画公開中です。

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文字で読む経典解説(実況ツイート):スマナサーラ長老の法話メモ(@jtba_talk)/2017年03月31日 - Twilog

 

前回 の経典解説に続き今回の経典も、一般人に推し量ることのできない仙人ワールドが広がりました。

 

この経典でお釈迦様に質問しているのは、仙人のメッタグーさん。

「世の中にある種々様々な、これらの苦しみは、そもそもどこから現われ出たのですか❓」

と聞くメッタグーさんですが、

 

「これらの苦しみ」とは一体なにを指すのか? 

という重要ポイントは経典の中に書かれていないのです。

 

ということでこの経典は、「苦」を体験した人に向けた教え ということなのだそうです。

 

あなた(一般人ではなくメッタグーさん)は、今しっかりと「苦」を体験している。

生きることは苦そのものであると体験しているあなたに、暴流を渡る方法を教えましょう。

とお釈迦様は説かれています。

 

「本人が苦を体験している」とは、

「苦しみについて説法を聴いたからとか、カントが生きることは苦だと言ったから、というような認識ではないのです」とスマナサーラ長老は説明しました。

 

たとえば、「生きることはどうにもならない。どん底で先が見えない」、そういうときが実は苦を本当の意味でわかるチャンスになるそうです。

ほかにも、末期がんで多臓器が機能を失いつつあるなど、極端に苦しみを感じているときに、「これはなんだ?」と観れば「あ、執着だ」とわかることもあるのだといいます。

 

そこまで追い込まれてようやくわかる「苦」「執着」ですが、それについて長老はこのように話していました。 

おもしろいことに、生きることには苦しかないのに多くの人は苦を体験していないんですね。

相当な「麻薬中毒」状態です。

 

1053(1059)の偈ではお釈迦様が、メッタグーさんに煩悩の激流を渡る方法を教えます。

「メッタグーよ、伝承によるのではなくて、いま目のあたり体得されるこの理法を、わたしはそなたに解いて明かすであろう。その理法を知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り越えよ」(中村元訳)

 

この「よく気をつけて(sato)」は sati(サティ)のこと。

その理解が、ここでお釈迦様がおっしゃっていることのポイントになるようです。

 

スマナサーラ長老に詳しく解説していただきました。

生きることは苦であると体験した人が、気づいて(sati)生きている。その人は、何にも引っかからずに生きている。そのまま流れていく生き方をしている。生きていきたいという気持ちもない。「こうなってほしい」というものもなく、放っておく。

 

「苦」という解脱へのカギから、お釈迦様によって今回説かれたパワーワードは、これでした。

Upadhinidānā pabhavanti dukkhā ウパディニダーナー パバヴァンティ ドゥッカー

「苦」は執着によって起こる

 

「苦しみが自分のなかに起こったとき、この言葉を思い浮かべることで、少しずつ扉が開かれます」

と長老から実例とともに教えていただきました。

 

ざっくりとまとめて書きましたが、一番の山場である偈1055(1061)についてはここで書きませんでした(書けませんでした)。

動画でも質疑応答がありますが、いろいろな解釈ができるそうです。

多様な解釈はできても、体験としては一つということになろうかと思います。

考えすぎることに気をつけて、着実に歩みを重ねていきたいですね。

 

 

《追記》2017.04.04

パーリ語の読みを訂正しました。

〇:ウパディニダーナー(正) ← ×:ウパディーニダーナー(誤)

 

お知らせいただきまして、ありがとうございます!