先日、スマナサーラ長老の法話で「Seamstress」について言及がありました。昨年2016年12月9日にゴータミー精舎で行われた経典解説「スッタニパータ5-2彼岸道品ティッサ・メッテイヤ学生の問い」に出てくるseamstress(中村元先生の訳では「縫う女」となっています)です。
このブログのスッタニパータ5-2の経典解説紹介記事を辿ってみたところ、全くこの件は触れていませんでした。というより、内容について書くことを避けているような記事でした。もう今回で、二度目に聞いたSeamstressということになり、避けては通れないようなのでここに書き記すことにします。
1046(1040)
ティッサ・メッテイヤさんがたずねた、
「この世で満足している人は誰ですか? 動揺することがないのは誰ですか? 両端を知りつくして、よく考えて、(両極端にも)中間にも汚されない、聡明な人は誰ですか? あなたは誰を(偉大な人)と呼ばれますか? この世で縫う女(妄執)を超えた人は誰ですか?」
ここで「縫う女」が、seamstress(パーリ語でsibbini)です。
縫う女とは、お針子さん、仕立屋さん、裁縫師という意味です。
次の偈でお釈迦様が答えます。
1047(1041)
師(ブッダ)は答えた、
「メッテイヤよ、諸々の欲望に関しては清らかな行いをまもり、妄執を離れて、常に気をつけ、究め明らめて、安らいに帰した修行者、―――かれには動揺は存在しない。」
1048(1042)
かれは両極端を知りつくして、よく考えて、(両極端にも)中間にも汚されない。かれを、わたしは<偉大な人>と呼ぶ。かれはこの世で縫う女(妄執)を超えている。
「六処(眼耳鼻舌身意)は、6つのコスモス(宇宙)です。お互いに連絡しあっているわけではない。まったく関係し合うことなく独立して存在しているのに、この間隙をSeamstressが暗躍するのだ」というようなスマナサーラ長老のお話を聞きました。
では、この仕立屋は誰なのか?
それは「渇愛です」と長老。
言葉で表すと目新しさもないような気がしますが、ここがトリッキーなところかと。
山道を歩いていて自分がヘビに遭遇するのと、映画の中で登場人物がヘビに遭遇するとの違いでしょうか。
結局はヴィパッサナー、ということになってしまいます。
ヘビも仕立屋さんも信じがたいくらい動きが速いので、動体視力を鍛えておかないとみたいですね。
あと、もしヘビがヤマタノオロチみたいな想像を絶する怪物だったら、卒倒して岩で頭を打たないように、ちょっとのことでは驚かないようにしておかないとみたいですね。
ということで、Seamstressについて個人的に感じていた責任みたいなのを果たしました(記事にしました)
……のではないかなあと思います。
sabbe sattā bhavantu sukhitattā