質問
「仕事について悩みがありまして、自分は仕事をコロコロ変えてしまいます。自分の適職が見つからないことが悩みです」
回答(スマナサーラ長老)
世間的には安定した仕事があったほうがいいと思っていますが、安定した仕事というのはないですからね。
忘れてはならんポイントがありまして、人間というのは、生きている間は何か食べなくてはあかんですね。
肉体を維持するためにね。食べ物、着るもの、住むところ、薬代、家族がいれば面倒を見なくてはいけないとかね。そのためには、稼がなくてはならないですね。それは自分でやらなくてはいけません。それからは逃げられませんね。それは決して忘れてはならない。
適職、自分にあった仕事というのは、そういうのはないんです。
それは妄想です。誰だって「適職」をやっています。たとえば、あなたがやっている仕事をわたしができる? できないでしょう。自分に回ってくる仕事はやっているでしょう? だったら、「適職」でしょう。
あんまり適職とか考えないほうがいいんです。
与えられた仕事ができるかできないか、それだけ。適職というのは自我から出てくるんですよ。ときどき、仕事が難しくて失敗すると、「これは合ってないな」と思うかも。そのときいきなり「合ってない」と決めるんじゃなくて、自分が十分頑張ったのか、仕事から学ばなくてはいけませんね。人生はいろいろなことを学ばなくてはいけないというポイントがあります。そこを怠けてしまうんですね。
だから、新しい仕事だから勉強したくない気持ちになってくると、「こんなのわたしにできません」とか「適職ではない」ということになってしまうんですよ。
適職ということをあんまり考えずに、自然に自分ができる仕事を探してやっていますよ、みな。
適職ではなくて、別な言葉で判断するんですね。自分がストレスなく、楽しく、失敗が少なく、こなせる仕事。いわば楽チンに。それが「適職」なんです。
一応、仕事の安定というのは、歳取っても、65歳になっても、何か仕事がないとね。
うまくいかないんだからね。65歳じゃなくて、70歳までと考えても構いませんよ。わからないんだかね、世界は。だから何か収入が入るようにと、長い目で考えてほしいですね。
わたしは日本にある派遣契約制度はあんまり好きじゃないんですね。
なぜかというと、会社というのは悪行の組織で(笑)、できるだけ人から搾取して儲かりたいだけと思っているんですね。だから、契約社員になれるのは若者だけで、残酷ですよ。若者というのは育ててあげなくちゃあかんでしょう。会社組織でその人を育ててあげて、一人前にしてあげなくちゃいけない。契約社員を育てることはしないで、仕事だけさせる。それで安い給料を上げて、契約が切れれば、ハイ、さようなら。若者も歳を取ってしまいますからね。結婚もしなくてはいけないしね。35歳になってくると、もう雇ってくれないケースもあるんですね。それは恐ろしいことです。そうではなくて、日本全体が契約ということなら構いませんよ。それなら、60歳であろうが、70歳であろうが、能力ある人を雇う。それだったら、自由で楽しいと思いますよ。しかし、そんな優しい人間はいませんからね。いかに自分だけ儲かるかということしか考えていませんしね。
ですから、自分の身の安全は自分で考えなくてはいけないんですね。
あまり悩まないでください、この適職ということはね。
一応、自分は一か月か、一年で死ぬわけではないでしょう。だから、将来生きていたらどうしようか、80歳まで生きていたらどうしようかということを、ちょっと考えなくてはあかんですね。
孫も生まれたらどうしようかと、そう言うことも考えて、頑張ってください。悩むポイントとしてではなく。
仕事が中途半端だったら直ちに直してください。
やりたくないものでも、やってみたら経験になるんじゃない、というふうに挑戦してみてください。
やりたくないもので、やってみても失敗ばっかりするのでみんなに迷惑という場合は、やめても構いません。
自分の手に入るお金が、自分にとって正しく手に入るお金でなくてはいけませんね。たくさん儲かるかというのは、あまり心配しなくてもいいんです。自分でしっかり頑張って手にしたお金なら、すごく残るんです。あっという間に消えてしまうことはありません。
お金というのは不思議な存在なんですよ。
紙、数字じゃないんですよ。お金というのは、生きるために必要なポテンシャルエネルギーでしょう。たとえば百万円あるということは、いろいろなものが買えるポテンシャルを持っているということでしょう。だから、数字ではないんです。仕事をしたら、自分が生きられるくらいのポテンシャルをいただいているんですね。
それに今の世界で、お金、給料と言いますが、それはポテンシャルなんですよ。それが正しいポテンシャルだったら、しっかりと生かされる。
たとえば、金が入ったんだけど、あっという間に消えてしまった、借金もしなくては、というのは危険ですね。
自分でしっかりいただいたお金だったら、10万円でも一か月間生きられます。50万円必要だと余計に計算する必要がなくなってしまうのです。
そういう理解もあったほうがいいでしょう。
自分がいただくポテンシャルは、正しくいただく。
そうでなければ、与えられていないものを取ったという戒律を犯していることになります。その戒律を犯してしまうと、貧乏になります。借金する羽目になります。俗世間で言う「盗むなかれ」というような単純なものではないんですよ。与えられていないものは取るなかれということです。与えられたものは取る必要がないからね。
一つ思い出したのは、自分の国で、勉強しなかったり、体が弱かったりで、あまり仕事をする能力はない人が、それでも自分にできることを頑張ってやっているんですね。給料をもらう程度の仕事ではないんですが、家で留守番をする、雑草を取る、そういうことをやる。それをやってもらった家の人は、「よかった」という気持ちになるんですね。そういう雑用をする人が病気になると、みなが面倒を見てあげる。その人には一銭もお金がないですから。周りの人が服を買ってあげたり、出かけるときは連れて行ってあげたり。だから、自分自身でできることをやっていると、生きられるポテンシャルが入ってくるんです。
すべてお金で計算する必要はないんです。
それを理解して頑張ってください。
(終わり)
《スマナサーラ長老談 法話と実践会(ゴータミー精舎)2017.07.09
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当日のTwitter法話メモ
スマナサーラ長老の法話メモ(@jtba_talk)/2017年07月09日 - Twilog