ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

小説を書いているのが、もろに妄想であると気づいてしまいました

質問

「長老のご本を読んで、ヴィパッサナー冥想を始めました。そうしたら、自分が小説を書いているのが、もろに妄想であると気づいてしまいました。そこで、書くのをやめたほうがいいのか、冥想をやりつつ書いてもいいのか、教えていただけたらと思います」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

難しい。

この場合は『わたしの意見』を言わなくちゃいけないんですね。仏教の答えというよりもね。

 

わたしも小説を読んでいますけど、できるだけ子供向けに書かれた本を読んでいます。

大人向けの本であったら、超しっかりした本しか読まないんですね。

 

なぜかというと、ノーベル賞をもらうくらいのレベルの小説は、よく勉強になりますよ。

ストーリーは妄想かもしれませんけど、しっかりしたデータを使って、ストーリーを組み立てているんですね。データばっかり並べたものは誰も読みたくはないからね。

小説を読んだ人はいくらか喜んだりもする。それは感情的な世界で。

 

同時にいくらかしっかりするということもあるんです。それは否定できませんね。

 

たとえば、生命を、人間を差別するなよと。

黒人であろうが白人であろうがね。みんな生の人間であると。誰だって悩み苦しみがあって、愛する人と別れたら悲しくなっちゃって、子供に食べさせるお金がないと困ったりする。そういうストーリーを描いて、いろいろなキャラを入れると、そうすると、読む人はストーリーを喜びながら、やっぱり人種差別はあかんねという気持ちに達すると、何か大事なものを受け取っているんです。

 

わたしが子供向けの小説をなぜ読むのかというと……。

子供向けの小説は、子供のふざけた、バカげたあまりにも妄想の世界でしょう。ヒーローたちがいるわ、あれやこれやとかね。同時に、子供たちにいろんな問題にしっかり立ち向かって頑張ってくださいというメッセージが入っているんですね。それから、わざわざ難しい単語を間にドカンと入れているんですよ。ですからバランスが崩れているんですよ。普通の英語で書いているんだけど、いきなりドカンと真ん中に一言、難しい単語を入れちゃうと、バランスが崩れてしまうんです。しかしその作家はわざとそうする。なぜかというと、しっかりした単語も憶えてくださいという、作家の意図ですね。読む子供はその単語を覚えてしまいます。

 

そういうふうに読む人のために工夫することができます。

 

仏教的に言えば、人間はお互いに心配する。お互いに助け合う。人格者になる。生きていく上での様々なトラブルを、なんとか落ち着いて乗り越えていく。そういうふうな事を裏でなんとなくストーリーで、はっきり言わないんだけど、読んだ人は知らないうちに飲み込んでいるというね。人生としての哲学も飲み込んでいる。

 

ドラえもんがあるでしょう。

ドラえもんというのは子供たちの夢なんですね。でもドラえもんが出すどんな機械も、結局はハチャメチャな結果になるでしょう。一つもうまくいってないんですね。そこがポイントです。機械を出すんだけど、なにかおかしい。小さな子供たちが、ドラえもんを観て、知らないうちにそこらへんを学んでいるんです。「やっぱり自分で頑張ったほうがいいや」と。裏の手を使ってもうまくいかないんだと。それはマンガの中で直接言っていないんですよ。言ってないんだけど、結局はそう言うことになっちゃうんですね。

 

ジャイアンという乱暴なキャラがいるでしょう。

乱暴だけどものすごく臆病で。それを子供たちは学べるでしょう。臆病だからそれをカバーするために無理をやっているんだと。そんなことを直接言ってしまうと、聞いているほうは気持ちが悪くなってしまう。だからそれを言わないで、ストーリーで伝える。

 

だから文学というのは素晴らしい能力ですよ、人間の。

いつでも役に立つことが大事です。

ただ読んで終わった、というのではなくて、なにかインパクトが残らないとね。

(終わり)

 

スマナサーラ長老談 法話と実践会(ゴータミー精舎)2017.07.09 

期間限定公開動画

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当日のTwitter法話メモ

スマナサーラ長老の法話メモ(@jtba_talk)/2017年07月09日 - Twilog