ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

日常的に『つまらないな』と感じることが多くなりました

質問

「日常的に『つまらないな』と感じることが多くなりました。テレビを観たりして刺激が入ってくるときに、以前なら笑ったり、いいなと思ったりしていましたが、今は、それが欲だなと感じて、そうした感情を厭う気持ちが出てきます。それで『つまらないな』と思ってしまいます。

一方で、何も刺激が入ってこないときに、物足りない、寂しいと思って刺激を探してしまいます。混乱した気持ちにもなります。

それらの一連のこころの動きが苦しいのです」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

表面的にこころが、欲・怒り・執着から離れようとします。

これは表面的な、日常活動している意識のレベルなんですね。しかしこころは本来、貪瞋痴に依存して活動するので[質問のケースは]その活動が一時的にできなくなりました、ということですね。

無意識的なこころが、刺激がなくて困りますよ、ということで「つまらない」となってきます。

 

こころに刺激が足りない、ということです。

 

こころへの刺激をきれいに取り除くことは、お釈迦様の心理学的には成り立ちません。

だからこころにはより良い、より穏やかな、こころが安らぎを感じる刺激に入れ替えなくてはなりません。そうすると、刺激がないという悩みがなくなります。ものすごく立派な刺激があるんだからね。それはわれわれは、冥想する以前に戒律を守ってください、喜びを感じてくださいといっているし、それから善行為をしなさいと。いいことをしました、と楽しみを感じなくては。

 

そうした宿題をやっていないということなんですね。

いきなり冥想しても、そういう問題が起こるんです。

 

最初から喜びを感じる、充実感を感じるプログラムを作らなくてはいけない。

これは冥想する「前に」。

誰だって必要なものです。

 

みんな、つまらない人生をやっています。

楽しく生きればいいんですが、この楽しみが、金儲けとか、友だちとふざけて遊ぶというのは貪瞋痴の世界で、これは麻薬を取って楽しむことと同じことです。自己破壊、こころの成長を妨げる楽しみをやめて、自分を育てる楽しみに入れ替えなくてはいけません。

 

だから、楽しみを消せということはありえない。

なぜならば、こころは楽しみがあって、次へ次へと活動するんですね。

だからわれわれは、常に楽しみを感じる習慣を作る。そういう楽しみは色々ありますから、まずは貪瞋痴の楽しみをやめる。貪瞋痴の楽しみは自己破壊的です。

 

たとえば、公園を掃除すると楽しみが生まれます。

その楽しみは、体にいいし、社会にもいいし、みんなが喜んでくれるし。体力を使ってクタクタになっても、疲れよりも喜びを感じるんですね。

(続きます)

 

スマナサーラ長老 法話と実践会(ゴータミー精舎)2017.09.10

 を聞いて書きました。

Twitter法話

http://twilog.org/jtba_talk/date-170910/asc

 

カティナ衣法要のお布施リストを、Amazonで個人的に作成しました。

http://amzn.to/2hCYpiF

上の写真のような服などを、法要に出席のお坊さまにお布施します。

このお布施リストは10月22日(日)まで掲載します。カティナ衣法要は10月29日(日)にゴータミー精舎で行われます。

www.facebook.com

 

【参考】カティナ衣法要について

次元を破って生まれてくるもの - 【最終回】お布施ってどういうこと?(3) - ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

これは「いかに功徳を積むのか」「功徳とは何なのか」「どういうふうにしたら功徳がたかくなるのか」という、教理学的なところから、このカティナ習慣が現れてきます。 

今日皆様が行う、食事などのお布施はすべて、カティナ衣の徳に入るんです。