法話と実践会(スマナサーラ長老)ゴータミー精舎2017.11.12
https://www.facebook.com/jtheravada/videos/vb.138184189576792/1556274701101060/?type=2&theater
を聞いて書きました。
スマナサーラ長老の法話メモ(@jtba_talk)/2017年11月12日 - Twilog
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質問
「犬を見るとかわいいなと思います。それに加えて、最近は輪廻の中にいるナーマルーパ*1
だと感じるようになりました。ある日、犬の額に透明な魚の卵のようなものが見えました。これってなんでしょうか?」
回答(スマナサーラ長老)
そんなに気にする必要はないでしょう。
感じたものは感じたもので、それで終わってください。いちいち考えちゃうと、精神的に病気になるでしょう。
犬や猫を飼うと愛着が出てきます。
犬猫の面倒を見るのは構いません。困っている場合はね。今の猫は人間が飼うために作った品物でしょう。あれはもう、執着するためのサプリになっているんですね。仏教では禁止していますよ。動物で商売するなよと。
だから仏教徒たちにはね、人間ではなくてね、仏教徒たちには生き物の商売はしませんと。それで現代社会を見ると、犬猫を売っている。あの連中には自然界で生活できません。わざわざ作った作品なんですね。人間が欲望のために、感情のために。だから犬を飼っている人間にも悪いし、あの生命体にも酷いことをやっています。命の尊厳を破っています。
遠い昔から人間が動物を飼っています。牛を飼っていましたし、ヤギも、ラクダも、馬も、犬も飼っていました。しかしお互いに執着というのはなかったんですね。お互いに助け合って協力しあっていた。馬は人間を助けてあげて、人間は馬を助けてあげていた。それでいい関係であったけど。
今の犬は人間を助けてあげているんですかね。ひとかけらもないでしょう。だって吠えてもいけませんからね。犬っていうのはストレスが溜まったら、大きな声で吠えるんですね。今はそれもできない。
とにかくそれは仕方のないことだから、動物を飼っている方々はペットではなく生命であると。普通の輪廻転生している生き物であると。自分も輪廻転生している生き物ですから、形を見てあれやこれやと思う必要はない。生命として慈しんだ方が、いくらか悪い感情が緩和するんじゃないかなと思います。
あなたが言ったように、ナーマルーパの流れではないかと思うことは正しいんですよ。ナーマルーパの流れですからね。そうすると、犬に見えなくなっちゃう可能性もあります。それもいいんです。正しいんです。それで感情的にガチャガチャと思っちゃうと、それはちょっと良くないんですね。「そんなもんだ」ということでストップしなくちゃいけないんですね。
平等な生命体としてね、輪廻転生する時点で平等なんですね。だから結構似ているなぁと見えてくるかもね。似ているんだけど体によって制限を持っています。そうやって生きているものだとわかってくる。
動物を飼っている方々は、愛情の代わりに、慈しみに入れ替えてください。生命であると。生命は平等です。でないと、犬を飼っている人々は、犬に飼われてしまうでしょう、結局は。犬のお世話をする方になっちゃうんですね。せっかく自分が飼ったのに。
平等という態度で面倒をみてみると、ものすごく面白いんですよ。そうすると、その生命体も自分でいろんなことを考えるんです。餌をくれる人間の邪魔をしてはいけないんだと。動物たちも、自分で色々考えてやることは、結構楽しくなるんです。
(終わり)