21:00~から聞いて書きました。
もしかすると皆様方は聞いたことがあるかもしれませんが、仏教では生きることは苦であると、それが真理第一として教えています。お釈迦様のその言葉には、曖昧さはなく断言的に言うんです。それだけじゃない。生きることが苦でないと、証明できる人がいればやってみなさい、と未来に渡るオープンチャレンジで語っています。
宗教の命はすごく短いんです。それを長持ちさせたければ、新しく教えを変えないといけません。一応しっかりと頑張っている、アジアやヨーロッパの宗教も寿命が短いんですよ。そうすると変える。教えを変えるんです。人々の気持ちや要求に合わせて、宗教を変えていく。そうするといくらか生き延びるんです。それから次の世代になってくると、また教えを変えなくてはいけない。
それは、人間がすごく賢いんだから、それこそが神のことばだと信じているんです。
日本の状況もすごく命が短くて、日本人は何事も長くやらないからね。その要領と忍耐がまるっきりないんですよ。だいたいすぐカーッと火事のように飛んできて、2〜3週間くらいで「え?」と忘れているんですね。普通人間というのは、頑張って見るんですね。日本でもくだらないものだったら頑固に守ります。例えば相撲の土俵に女は登ってはいけません、ということだけは守る。
ブッダが生きることは苦であるとおっしゃったことに、誰も反対意見を成り立たせることはできません。挑戦しないんだけど、「そんなこと言っても、そうじゃないだろう」というふうにね、心の中で勝手に妄想しているだけ。勇気を出して言ってみなさい。勇気を出して言ってみた人には、真理を理解するチャンスがある。
仏教は厳しいですよ。生ぬるくはない。だから勇気が必要ですよ。ブッダの言葉にあたってみることは。体力、勇気が必要です。頭でっかちな知識人でいなくても大丈夫ですよ。それは逆に迷惑なんですね。科学知識などというものは、どうでもいい、人間にとって大事なものは一つも教えていません。仏教は生きるために必要なことを語っているんだから、生きる人であれば、誰でも反論を出して当たってみる能力はあるんですね。わたしは生きていないと思うならば、まあしようがないんですね。
誰か言える? わたしの人生はこんな楽しいことがあるんだと。いっていいんですよ。親切に反論します。
参加者「小さい子供達は24時間苦を感じているようには見えませんが、それはどうでしょうか?」
なんであの子らはよく泣いているんですかね。泣くのが楽しいから?
赤ちゃんの最初の仕事は?
参加者「泣くことです」
楽しいね。
生きることには、楽しみがありますよ。苦であると言っても。
楽しみがあるから、みんな絶対死にたくないんですね。長く生きるために、この地球の土をいじっていじって、塊を作るんです。できるだけ土を集めて、山を作る。なぜかといえば、安心して生きて生きたいんですよ。生きることが苦だったら、誰もあんなくだらないことをしませんね。
20年のローンで家を作る。幸せでしょう? それが幸せじゃなければ、誰がそんなことをしますか。借金してでもパチンコをやる。競馬やら競輪やら。その場合は銀行は貸しませんね。お金を貸してくれる親切な組織がありますね。
ご飯一食が食べられなくなってもあまり気にしない人も、1日酒を飲めなくなったら耐えられない。酒を飲むのが楽しいからでしょう。
我々は、生きることに執着するために楽しみがあるんじゃないかなあ、と。それはお釈迦様もおっしゃっていて、生きることにそれなりの楽があるから執着しているんだと。
我々が絶対死にたくない、生きていたいと思うのは、何か楽しいことがあるからでしょう。絶対楽しくない、でも執着します、というのはあり得ないでしょう。
例えば焼いた魚がある。
もう一方で、日にちが経って腐りかけた魚がある。
どちらに執着する?
腐れかけた魚は、ジップロックで密封してゴミ箱に入れなければ、臭くて家の中にいられない。そんなものに誰が執着する?
焼いた魚は、美味しそうにヨダレを垂らしながら食べる。
だから全く価値のない嫌なものには執着しない。
何か価値があって、好きなものに執着するんです。
なんでそれが好きかというと、楽しいんです。
そういうことで、楽しみについて理解したほうがいいんですよ。
(続きます
生きることは本当に苦なのか?(2) - ブッダ ラボ - Buddha Laboratory
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