質問
「自分というものが無常で瞬間瞬間変わっていくならば、性格も変わっていくのでしょうか? それとも性格は業から発しているものなので変わらないものなんでしょうか?」
回答
(スマナサーラ長老)
これは流れとしてみたら良いと思います。
川は瞬間瞬間変化しますが、よくよく観察すると、例えば一時間観察すると、一年観察すると、あるパターンで流れるということが見えて来る。
性格とはそういうものです。
だからと言って確定するものではないんですね。
例えば一時間荒川を観察すると、こんなものだなとわかって来ますよ。でも次の日に行ったら、荒川の流れが別な流れになっています。
そのように物事が変化して流れると、それぞれのパターンが現れて来る。性格とはそういうものです。
例えば目の前のこの花を見ていい感覚が生まれたら、あなたはこの花が好きと言っちゃうんです。わたしの性格だよと言っているだけのことです。
花は別に、という人もいるでしょう。それは性格です。パターンですね。
皆様は日本の方々だから、外国に行ってホテルで日本食があったらそちらにいくでしょう? 他の料理が食べられないわけではなくても、つい日本食へ行っちゃうんですね。何か安心。和食があったら。
例えば大きいホテルでアフリカン料理も、エジブト料理もある。面白いねと思うけれど、やっぱり和食レストランに行っちゃう。それはパターンで、あまり気にすることじゃない。
自分が手で書く時は、あるパターンがあるでしょう。誰が書いた字かわかる。だからと言って、わざわざ変える必要がありますか? ないですね。サインの場合は、性格があったほうがいいんです。十回サインして、どれも違っていたら大変です。
性格というものは害じゃない場合は気にすることはない。
いつでも怒りっぽいのは迷惑ですね。そういうのは治すように頑張る。
質問者
「そういうのは瞑想を続けていれば治りますか?」
スマナサーラ長老
瞑想を続けていれば、治す必要のない性格はそのままで、どうしても治さなくちゃいけない性格は治ります。問題ありません。
(終わり)
性格についての本
初期仏教月例講演会「仏教の怪談」 スマナサーラ長老 2018年9月9日の質疑応答部分よりメモしました。