ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

長老が亡くなられた後は、何をともし火にすればいいのでしょうか?

質問

「先生が亡くなられた後は、わたしたちは何をともし火にすればいいのでしょうか?」

 

回答(スマナサーラ長老)

これはまずいんですよ。

仏教は、人に頼る教えではありません。

 

ブッダに頼るんですよ。これは宗教的に頼るんじゃなくて、お釈迦様が指導者であり、善友なんですね。

わたしはずっとスマナサーラの話を聞けと喋っていたわけではありません。

しゃべるときは態度がでかいんだけど、それは皆様が話を聞かないから、皆様の文化を壊さなくちゃあかんでしょう。それは建物を破壊しているだけで、わたしは指導者でもなんでもないんですね。ブッダが指導者で、お釈迦様が皆様の善友で、師匠なんですね。そうしないと、すごくまずいんです。

 

何故ならば、わたしも人間だから、不完全そのものなんですね。わたしの不完全な話を聞いてそのままでは、皆様にはすごく迷惑なんです。失言もハチャメチャですからね。仏教はそうではありません。その辺は区別する必要があります。

 

不完全なスマナサーラに頼るんじゃなくてね、完全なブッダという指導者の導きを受けなくてはいけません。

 

人間というのは主観で判断するんだから、仏典を読んでも分かったつもりになるんですね。わたしはそれを壊しただけなんです。そういうことを考えてください。

皆様も、他の人々にブッダの教えを教えてあげて、ブッダの教えは真理ですから、これからも真理を知っても悪くないでしょう。

人類の幸福になるんだから。

 

わたしはそろそろ死にますからね。先がすっごく短くなっちゃったんです。今の状況はわたしも心配しています。なんか死ねなくなっちゃったんですね。気持ち的に死ねなくなっても死にますからね。

わたしが一週間でも休んだら協会が活動停止状態だから、これはすごくまずいと思います。社会的には。

皆様の中から、次の世代の他の人々に真理を伝えてあげる人材が、ものすごく必要になっているんです。

 

外国からお坊さんたちを輸入しても、そううまくいかないと思います。何故ならば、お坊さんたちは仏教を学んでいるんだけど、いろいろハンディを持っているんですね。文化のハンディ。

 

ミャンマー仏教は、しっかりとミャンマー文化に染めているんです。タイ仏教はまるっきりタイ仏教であって、タイの文化に染めています。自分の国でも同じで、スリランカ民族の文化と一緒になっています。これを抜いてみることはなかなかできなくなっています。

 

わたしは文化を抜いて、真理だけを30年間、皆様に教えてきたんです。

未だに根付いていないだけで、これはわたしが下手だからでしょうね。

教えることは、文化から外して、真理だけを教えたんです。

だから、皆様が受け取る時は、日本文化と一緒になることもありますけど、それも悪いところもあればいいところもあります。文化っていうのは人間にとって生きる時に必要なものだから、何かパターンがなければ生きていられないでしょう。それが文化ということですね。それは俗世間的ですが、綺麗に切ることはできません。

 

正しくないものは捨てて、正しいものは、毎日の生き方に合わせてやった方がいいと思います。

 

もしミャンマー仏教があるならば、タイ仏教が、スリランカ仏教があるならば、日本テーラワーダ仏教になった方がいいんじゃないかと思っていますよ。だから協会の名前もそういう風に入れているでしょう。単純に「テーラワーダ仏教協会」にはしていないんです。なぜならば、文化がないと、日常の生き方ができなくなっちゃうんです。

 

開祖さまを作ってそいつを拝む、というのは日本文化です。それはわたしはすごく反対することです。面白いのは、「俺が悟った。俺が死んだら息子が跡を継ぐ」というのは、冗談じゃないんです。あれっていうのはものすごく知識が足りない。みんな皇室の真似をするんですね。皇室は日本の文化です。それはわかりますが、宗教にそれを持って行ってはいけません。その点カトリック教会はかっこいいでしょう。教祖が死んでもその親族を選びません。何人が選ばれるかもわからない。イタリア人が教皇になったことも最近はないでしょう。ドイツ人が教皇になってもバチカンに住んでいます。何人が教皇にあるかわからない。

 

次のリーダーは、精神的に優れていないと意味がないんです。後継っていうのは、形を持っているだけになって中身が消えてしまいます。お釈迦様が言ったのは、覚りの後継です。精神的なものです。

 

精神的に優れている人がいても、口下手で喋らないとか、そこだけですね、問題は。

 

わたしの希望期待というのは大抵外れますからね。

お釈迦様は人類に語ったんだから、これが聖なる道であると、皆様方にも語ったんです。未来の人類に向かって語っているんです。だから外国から来た宗教だと思わないほうがいいと思いますね。真理に民族性はないんですね。科学真理もそうでしょう。アインシュタインが発見した相対性理論は、ユダヤ人だけの教えじゃないでしょう。誰にだって真理ですからね。アインシュタインが発見したんだからアインシュタインは偉いと思いますが、民族は関係ないんです。

 

皆様も、これから仏教を次の、そのまた次の人々に教えた方がいいとは思います。

(終わり)

 

東京 法話と実践会 スマナサーラ長老 2018年11月23日

動画

https://www.facebook.com/jtheravada/videos/368432943898539/

法話メモ

https://twitter.com/jtba_talk/status/1065775981963567104