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【智慧の扉】慈悲の瞑想はなぜ嫌われるのか パティパダー2022年7月号

この記事は、2022年7月号 智慧の扉「慈悲の瞑想はなぜ嫌われるのか」として日本テーラワーダ仏教協会誌パティパダーに掲載されたものです。

内容はスマナサーラ長老の法話から編集させていただきました。

ここでは許可を得て転載いたします。

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2022年7月号 智慧の扉「慈悲の瞑想はなぜ嫌われるのか」

A.スマナサーラ

 

お釈迦様は慈悲の生き方・考え方・生活習慣を、あらゆる方法で語りました。

慈悲は仏教の全てではありませんが、根幹の一部です。「生きとし生けるものが幸せでありますように」というこの一文が、私たちを真に守るものだと納得して実行するならば、人類に何

も問題は起こらないのです。

 

もし誰かが慈悲に対してケチをつけるなら、私は厳しく対応せざるを得ません。なぜな

ら、この世の中の生命が守られるために、慈悲を実践する以外に方法がないからです。慈

悲の瞑想は宗教や信仰は関係ありません。どんな神を信じていても、人は一貫して幸せを

求めているのです。

 

宗教に関わりを持たない若い方々が、慈悲の瞑想の文言に違和感を持つ場合があります

。流行の歌は口ずさむのに慈悲の瞑想は「ちょっとキモい」と言うなら、私は「では慈悲

の瞑想の意味を反対にして唱えてみてください」と提案します。反対の言葉は「私が不幸

になりますように」「生きとし生けるものが不幸になりますように」でしょう。そのよう

に言うと相手は慈悲の瞑想の内容を途端に理解するのです。誰だって「私や他の生命を不

幸にしてやろう」と願っているわけではありません。

 

人間には根本的に、思考に欠陥があります。そこでお釈迦様がその思考パターンを解析

して、「〈私〉という自我意識のせいで問題が起こるのだ」と指摘しました。

私たちは「私」という主語で物事を考え、自分だけの世界に引きこもり、他を敵とみな

します。敵を目の前にしたら、人は相手を潰そうとするか、排他的になるかどちらかなの

で、人間の思考システムは攻撃的または排他的なのです。自分の仲間か敵かと、常に周り

の人間を選別しています。

 

私たちは「自分の方が優れている」と主張するためにあらゆる方法を駆使します。しか

しいくら他文化・他政党などを批判しても問題は消えません。そこでお釈迦様が「自分の

心をチェックして、自分が作っている壁を全て取り払ってください。大きな人間になって

ください。壁の中に引きこもった小さな人間ではなくて、大気に溶け込んでみてください

。あらゆる問題が全て消えますよ」というメッセージを、さまざまな言葉で語っているの

です。

 

「私がいる」という実感がある限り、人は他と仲良くすることができません。私たちは自

我という錯覚で思考して判断を誤ります。人間は考えて行動する生命だからこそ、間違っ

た行いをするのです。人はもともと同じグループの中で噛みつき合う生命体なのです。生

命同士が仲良くするということは高度な真理の道です。

したがって、慈悲の瞑想は難しくなっています。真理を発見しない限り生命は、「我は正しくて相手が間違っている」という苦しみの世界を生きることになるのです。

(了)

 

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