この記事は「パティパダー2022年8月号」のコラム「智慧の扉1」から転載しました。
「智慧の扉」はスマナサーラ長老の法話を短く編集させていただいたものです。
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パティパダー2022年8月号
智慧の扉1
「サティとサンパジャーナで主観の世界を超える」
A.スマナサーラ
ヴィパッサナー瞑想はサティ(sati)とサンパジャーナ(sampajāna)という二つの言葉で言い表します。
サティとは気づくことです。サンパジャーナとは何が起こっているのか明確に知る、という意味です。
ヴィパッサナー瞑想以外にも仏教の瞑想はありますが、共通する特徴は思考を整理して、事実にもとづく一貫した考え方をさせるということです。
思考を整理して客観的なデータを取っていくと、智慧が拡大していきます。そのプロセスを通じて心の束縛を外し、精神的な自由を味わうことができます。
私たちは常に、眼耳鼻舌身意で受ける刺激を元にデータを取っています。
その中でも意(意門)は管理が難しいのです。たとえば眼の場合、管理された条件に無い波長の光は、眼に触れても刺激として受け取れません。眼耳鼻舌身は、受け取れる刺激にリミットがあります。しかし、意の場合は制限なく思考を拡大させて刺激を作り出せます。いとも簡単に管理不能に陥ってしまうのです。
また、意は時間の制限を受けません。
過去のことでも現在のデータであると勘違いします。ですから40年前の写真を見て「これは私だ」と誤認識するのです。40年経っていればまるっきり違う人間なのに、時間による変化を無視して「私」という概念を組み立ててしまうのです。
眼耳鼻舌身から刺激を受けて、心の中で概念・認識とすることで、自分だけの世界が現れます。
人間は自分だけの世界を作って、その世界が正しいと思っています。自分にバラの花が見えたら、それがバラの花ではないとは当然思えないのです。また、心の中で作り出した概念に価値を与え、愛着します。自分が長年取り組んできた研究に対して、もし他人が「意味がない研究ですね」と感想を漏らしたら、激しい精神的な苦痛を感じるでしょう。
われわれは主観の世界が正しい世界だと信じて、瞬間ごとに変化するデータをまとめて「私」という架空の概念を作り出します。
写真の中の40年前の自分と現在の自分を見て「これは私だ」というためには、「私」という架空概念が必要なのです。架空概念を持つと、客観的にデータを分析して智慧を発見することができなくなります。それが問題だということにすら気づきません。むしろ「だってしょうがないでしょう、人はそういうものですよ」と開き直るのです。
仏道を歩む少数の人々は、ヴィパッサナー瞑想によって、眼耳鼻舌身意に触れた刺激を捏造なくそのまま認識する訓練を行うのです。
目を覚まして明確に気づいた上で現象のデータを取っていくと、なぜ物事がこうなるのかという理由が自ずから見えてきます。サティとサンパジャーナの実践によって、主観の世界を超えた真理の世界に達することができるのです。
(了)
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