ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

妄想に気づくのが遅れるとき、集中しづらいとき、過去を再現するときは、どうしたらいいでしょうか?

質問

「ヴィパッサナー冥想をしていると、『あの人がこういうことを言ったな』とか『あれをあやらなければ』と浮かんできて、これは妄想だと思って、『妄想、妄想』とラベリングしますが、また二三歩あるいて、同じように『妄想、妄想』と遅れて気づいたりする状況ですが、どうしたらいいでしょうか?

 

ものすごく集中できるときと、よくわからないうちに終わっちゃったなと思うときがあります。うまくいかないときとうまくいくときはどうしたらいいですか?

 

 

また、日常生活で誰かと話した時、会話を再現する癖があります。どうしたらいいでしょうか?」

 

 

回答(スマナサーラ長老)

 

余計な期待をしないで、ありのままに状況をみることですね。

人間には強いときもありまして、弱いときもありましてね。

うまくいくときもありまして、うまくいかないときもありましてね。

 

そこはそのままの流れをみてみるんですね。

 

しっかりと実況中継で、妄想をなくし、妄想のない生き方がいいなあと思ったことも妄想で、そんな希望通りにはいかないんですね。

 

だから、「自分は妄想する癖がある」とか、「終わった出来事を頭で再現する癖がある」というふうにみるんですね。

 

それで再現することでどんな結果かとみて、「結局は妄想に入ってしまっただけだ」と、そういうふうに淡々とみていってください。

 

自己判断しない。自己評価しない。そのままみてみる。うまくいく自分もうまくいかない自分も。

 

それから後で、比較的楽に、穏やかでいたいなと、そういう気持ちを入れてみてもいいんですね。

たとえば、起きた出来事を再現してしまった。頭の中でならいくらでも再現できますからね。「ああ、悪い癖だ」と思ったら、「これって楽しい? 楽なこと?」と自分に聞いてみる。これは楽しくない、楽じゃない、ただわたしが意図的に苦しんでいるのだと。だったらやめよう、という気持ちにはなります。その前に、ありのままにみておかないとね。

 

それからヴィパッサナー実践をやっているときも、あの瞬間にも楽しみがあるんですよ。

実況中継に。その楽しみは、俗世間の単語で理解したらあかんなんです。俗世間の楽しみは、苦しみに相対的な言葉でしょう。そうではなく、苦しみと楽しみでなく、相対的ではない安穏です。単語がないから「楽しみ」という言葉を使っただけです。だから最近使っているのは「苦」と「無」です。実況中継すると、俗世間的に楽しいかと言うと楽しくないんです。では苦しいかと言うと苦しくもない。だからなんだというと、「無」と言う言葉にしておいてください。

 

無は、楽しみよりも苦しみよりも、安穏で安定するんですね。

 

ですから、ヴィパッサナー実践をやっているときの、実況中継しているときの「無」を楽しんでみるんですね。

善も悪もない世界。苦も楽もない世界。言葉にならない世界。それが現れてくる。そこを味わってみて、それから、日常生活の中で妄想が割り込んでくると、こんなのは苦しいだけだ、やめた、ということができるんです。また妄想の癖が出てくると、苦しいからやめた、というふうにだんだんと簡単にやめることがきるようになると思います。

 

そういうことで頑張ってみてください。

(終わり)

 

スマナサーラ長老 法話と実践会(ゴータミー精舎)2017.09.10

 

を聞いて書きました。

 

Twitter法話

http://twilog.org/jtba_talk/date-170910/asc

頭が突然鋭くなる瞑想法 ― ブッダが悟りをひらいた人類最高の英知 Kindle

Kindle Unlimitedに入っています。