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Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

価値観の優先順位を変えて幸せになる

東京 法話と実践会 スマナサーラ長老 2018年9月30日

日本テーラワーダ仏教協会 - #jtba スマナサーラ長老の法話と質疑応答 ゴータミー精舎...

(期間限定公開動画)を聞いて書きました。

 

スマナサーラ長老) 

台風が来るだろうということで、今日の冥想会を中止にするか半分にするかという問題が起きたんですね。

わたしは、半分にしましょうということにしたんです。そこでちょっと考えてみましょう。台風が来るということは当たり前のことで、台風が危険というのも当たり前です。台風から逃げたからといって、われわれが死なないわけじゃないんですね。病気にもなるし、事故にも会う。必ず死ぬんです。だからそれから逃げ回っても、何の意味もない。何で逃げ回るのか、台風が来たら家の中に閉じこもるのか。外に出ても交通機関が動かなくなると、「ああ、帰れなくなっちゃった」ということになるから、じゃあイベントを中止にしましょうということになるんですね。

それは当たり前でしょう、中止にした方が正しい、という考え方になるんですね。世間の常識的な考え方です。

 

仏教的に見ましょう。

われわれはどちらに価値観を入れていますか。優先順位をどうしていますか。自分の命を守ることを優先にしているんです。肉体が可愛い、とそちらに価値を入れています。仏教的に言えば、心を清らかにすることを優先しておかなければいけないんですね。他に何をやっても、捨てることになるんです。皆様は捨てたくないでしょう。でも、否応無しに捨てる羽目になるんです。いくら勉強して、学者になったとしても、歳をとったら全部知識がなくなってしまいます。最後に朦朧とすると、何の知識もないんですよ。死ぬときは、あれほど苦労して論文を書いて、徹夜して頑張ったものも全てなくなっちゃうんです。

 

金を儲けて家を作ったとかね、車を買ったとかね、全部捨てていかなくてはならない。

持っていくのは、そういうものを得るために、ハチャメチャ怒り嫉妬憎しみで、人を軽視したりバカにしたり、競争したり、残酷に生きて来たこと。学者にしてもものすごく嫉妬深いんですよ。すごいライバル意識を持っています、学者の先生だからわれわれよりも立派ということはありません。よく付き合ってみると。一般人と変わりませんし、もっとひどい場合もあります。個人的にそういうケースを知っています。

 

威張って生きていても、死ぬときはすべて捨てる。犬に生まれ変わったら、それまでに蓄積した知識を生かすことができるんですか。

仏教用語でいうと、われわれはクソに執着している。それが仏教用語です。

金を儲ければいい、立派な家があればいい、家族があればいい、セスナ機の免許を取れればありがたい、そういう風にありがたがるものがいっぱいあるんですね。しかし、仏教用語で言えば、クソに執着してクソの中にいる。

 

例えば、ある子供は小さい頃から音楽が好き。

それで大人になったら音楽家になるかもしれません。自然な流れです。われわれは現に自分の好きな道を歩んで、それなりに成功しているんです。でなきゃ、世界が成り立たないでしょう。数学って名前を聞いただけでいやになる子供が、数学者になりませんでしょう。数学が好きでたまらない子が、数学者になる。われわれは好きなもの、執着しているものを得ることができます。ですから、クソに執着してください。結果を得られます、確実に。

 

厳しい言葉ですけど、解脱に達するために、こういう大胆な心臓が破裂するような言葉が必要です。

そうでなければわれわれの低次元が破れないんです。最終的に何にもとらわれないことが必要なんです。どんなことがあっても揺らがない心が必要なんです。火山が爆発しようが、台風が来ようが、竜巻が来ようが、そういうものに揺らがない心が必要です。

 

例えば、今日はすごく朝早く起きたんですけど、窓から外を見たら真っ暗なんですね。

わたしが考えたのは、今日は部屋の中にずーっといた方がいいんじゃないかなと思ったんです。その瞬間で、「あれ、何ですかね」と思いました。怠けでしょう。肉体が可愛いと思ったということでしょう。午前中に雨が降ったら、雨に濡れながら行かなきゃいけないでしょう。それは嫌だ、と思うことが、肉体が可愛いと思ったことなんです。

 

そういうことで、わたしたちの優先順位というのは、どうしても壊れるもので、悩み苦しみが作れるものに優先権を上げているんですね。

その精神状態を変えて欲しい。例えば、小さい子供がいる若い女の人は、どうしても子供のことを優先にするでしょう。赤ちゃんのことでしょう、何よりも。自分が疲れていてもお腹が空いていても、気にしない。赤ちゃんが泣いちゃうとそちらに行く。優先順位は、赤ちゃんを抱えているお母さんにとっては、赤ちゃんが上なんです。優先権がそちらに行ったんです。自分が病気になって体が動かなくなっても、赤ちゃんのことが心配なんです。早く治して子供の面倒を見なくては、と。

 

では、次に考えてみてください。

その女性に悩み苦しみ悲しみが生まれるなら、誰から生まれるんですか。赤ちゃんからでしょう。例えば、自分が知らない人の赤ちゃんが死にました、と聞いた時と、自分の子供が余命数カ月と知った時は同じでしょうか? 自分の子供の時は、どれほど苦しんで悩むでしょうか。執着、愛着があるからでしょう。

 

例えば台風でいくつかの国々にかなりの被害があったでしょう。

村が一つ潰れたり。その時の気持ちと、東京に台風が来るという今の気持ちは違うでしょう。今はかなり心配です。なんで? 自分の体に執着があるからです。

 

だからわたしたちは、優しい人間じゃないんですよ。

優しい人間だったら、どこの人間でも病気だったら、かわいそうだ、なんとかしたいという気持ちが生まれるはずです。みなさんにその気持ちは生まれないでしょう? いつでも、「わたし」と「わたしのもの」だけになっています。しかし人間に悩み苦しみが生まれるのは、執着するものからです。だからわたしたちは苦しみに執着しています。それで構いませんよ。なんで苦しみを嫌がるんですか。猛毒を飲みながら、死にたくはないんだと言っても、死ぬんだよと認めてください。20階のビルから飛び降りて、でも怪我したくないというのは何を考えているんですか。あなたは飛び降りたくてしようがなくて飛び降りたら、粉々になる。それが当然の結果です。これはどうにもならない。

 

人間の矛盾というのは、わざわざ苦しみを探す。

わざわざ悩みを探す。探して嫌だと思っちゃう。会社でハチャメチャ競争して仕事をする。競争すると、当然ライバルが現れます。そうすると、勝つか負けるかわからない。汚い世界だから、足を引っ張られたり、裏で色々なことを言われたり、いろんなことがあるんですよ。それで悩む。なんでそんなことをするとか、なんでわたしの陰口を上司に言ったんですか、とかね。それはあなたがハチャメチャ成功したいと思っていたから起きた問題でしょう。どうでもいいんです、お給料さえもらえればと思っていたら、陰口を言われても首にはなりませんからね、ああそう、別にと、執着がなければそこでものすごく明るく楽しい世界が現れます。

 

そこで執着を捨てることです。

だってクソに執着しているんだから。捨てることはどうってことないんです。我が子にものすごく愛情があったからと言って、我が子にならないでしょう。生まれたのは別の人間なんです、どんどん大きくなって、別の世界で生きているんです。一生懸命に手塩をかけて育てた自分たちが、損して終わっちゃう。何も得るものはないんです。

 

女性たちも知っているでしょう。

旦那に尽くしていても、あいつらは感謝の一言も言わない。言わないですよ。奥さんに感謝の言葉を言っても、奥さんの苦労は消える? 消えないですよ。なおさら奴隷になっちゃう。女っていうのはアホだから、もし旦那が「お前と結婚してよかった。毎朝起きて思うのは、お前と結婚して本当に良かったなぁということだ」と言ったら、奥さんはますます奴隷になる。得するわけじゃなくて、損するんです。だから夫に無視されてよかったと思ってください。その分、自由でしょう。その分、文句言う権利があるでしょう。だから執着がない方が楽なんです。ほんの一言で、すごい執着が生まれて、自分が知らないうちにすごく苦労することになります。

 

全て無常で変化する。

執着はできない。捨てていかなければいけないのに、捨てる生ゴミに執着する。どうしても捨てなくちゃいけないものです。全て生ゴミです。クソと言う単語を変えました(笑)。何でこの生ごみを抱きしめて、「わたしのものだ、死んでも離しません」と言っちゃうんですかね。死んでもあなたを離したくないとかね、そう言っている瞬間もその人は自分のものではありません。ただ自分の気持ちで死んでも離さないと言ったら、現在環境にあまりにも執着しているでしょう。それで餓鬼道に落ちちゃって、1億年くらいいることになってしまう。苦しむ羽目になります。

 

そう言うことで、われわれの優先権はどちらにあるのか。

それはクソに執着する優先順位になっています。これは理性的なものじゃない。だから明るい心を優先にする。怒らない心は優先にする。汚れない心、悩まない心を育てることを優先する。人格を向上することを優先にする。道徳的に生きることを優先にする。何にもとらわれないで、われわれの義務を果たしてさようならと言う人格を作る。そうした人格を作る。子育てはしっかりする。しかしさようなら。相手に文句を言われないくらいやる。それに執着しないで、しっかりやり終えたらさようなら。

 

そう言う風に優先順位を変えてはいかがでしょうか。

そのことでみなさんは立派な人間になります。死後に天国に行きたければ、死後成仏したければ、執着を捨ててください。遺体の前でお経をあげたからと言って、全然効き目がないんです。ずーっと行きている間は、道徳に興味がなく、会社で奴隷のように働いて、それからボケて死んでしまって、その遺体の前でお経をあげたからと言って本人には聞こえないでしょう。スーパーから魚を買ってきて、魚の前でお経をあげても同じことでしょう。あれも死体だから。そう言う時でも嘘でごまかす。死体を褒め称えれば大丈夫だと。だったらスーパーで褒め称えてはどうですか。結構死体が並んでいますからね。

 

死ぬ時の心ですからね。心が決まった世界に行くんです。だから人格を向上することを優先にしましょう、と言うことで話は終わりです。

 

(終わり)

 

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【内容紹介】(アマゾンより引用しました)

私たちは、充実した日々を送るために、いろいろなことをしていますが、なかなか有意義な人生を実現することはできません。
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【本書の内容の一部】
最高の充実感のために「有意義」と「無駄」の真意を学ぶ!

 

●社会的な業績は無駄
●現実離れした目的は無駄
●死で終わるものはぜんぶ無駄
●世間の価値観は無視するべき
●個人に価値判断能力はない
●生命は平等だが愛着は猛毒だ
●ものや他人の奴隷になるという不幸
●故障中の心は肉体の刺激を求める
●得ようとすると、ものは抵抗する
●私しだいでみんなが幸福になる