智慧の扉
どんな国でも、隣人同士の付き合いがトラブルに発展することはあります。もし隣人が外国人だったら、「外国人問題」にまで発展するかもしれません。一般的に、多文化が混在する地域では、些細な行き違いから問題が起こりがちです。しかし、お互いの文化を認…
最近の社会では、人とのつながりを求めて、SNSやYouTubeにアクセスする人たちがたくさんいるようです。しかし、コメント欄にメッセージを書いただけで「人とのつながり」は生まれません。実際は妄想が広がるばかりです。ネット上で「人とのつながり」を求…
仏教では輪廻を説いています。輪廻をシンプルに、「ものもエネルギーも消えない」と説明することもできます。物質も宇宙も、心というエネルギーも、因縁によって瞬間瞬間、変化し続けているのです。変わらないのは、ただ呼び名だけです。例えば「隅田川」を…
慈悲の瞑想をする場合は、「姿形が長細い生命であろうが、目に見えないほど小さな生命であろうが、巨体の生命であろうが関係なく、幸せでありますように」と慈しみの気持ちを育てます。さらに、生命の姿形を見て、あれこれと差別する気持ちも直していくので…
食事とは不思議なものです。生命たるもの、誰でも食事を取らなくてはいけません。食事のとり方は色々ありますが、主な目的は外から部品を入れることです。その部品で自分の体を作り直します。この体というシステムは壊れていくのだから、その都度パーツを修…
なぜ、仏教では覚る方法は一つしかないと言うのでしょうか? 「ヴィパッサナー瞑想で観察することだけが解脱のやり方である」と断言してしまうのは怪しいと感じる方もいるかもしれません。宗教的な見方をすれば、確かに胡散臭く感じても不思議ではありません…
普段は瞑想を頑張っていても、何かの拍子に感情的になってしまうことがあります。そこから精神的に弱くなって、嫌な気分に支配されると暗い思考が流れてしまうのです。もともと心は悪い思考に慣れているのだから、下へ向かって転げ落ち始めるとなかなか止ま…
人類の歴史にはさまざまな時代があります。平和な時代、戦争の時代、経済発展する時代、発明の時代等。つまり時代ごとの「流行り」が人間社会に存在するのです。地球上で同じような流行が起こるということは、私たちは精神的にも世界中の人々と繋がっている…
病気で悩む人の相談を聞いていると、ぐるぐる回る妄想のパターンを見てとれることがあります。それは相談者の思考の流れで、まずその問題に手をつける必要があります。そもそも病気の相談の場合、本人の「実は治りたくない」という本音が垣間見える時がある…
「この瞬間は二度と来ない。だからいまを楽しんで生きたい」と思うのは、人生のポリシーとして悪くないかもしれません。しかしその場合も、「楽しむこと」にこだわりすぎないように、気をつけたほうがよいのです。なぜならば、楽しい瞬間も苦しい瞬間もすぐ…
私は今、がんという病気に罹っていますが、同じような境遇の方々から「余命を意識しながら明るく生きていくにはどうしたらよいか?」と質問されることがあります。それには「この瞬間に私が何をやるべきか、と考えてタイムテーブルを細かく刻むこと」と答え…
「これからの生き方をどうしたらいいか?」と聞かれる事があります。 仏道を歩んでいる人は「出家したい」と思う場合もあるようです。出家は、今までの生き方を大胆に変えることになります。元々、人は自分に合った生き方で今日まで来ています。その中で、あ…
人は過去にこだわって後悔しがちです。しかし、全ての物事は一度限りで起こり、そして終了するのです。瞬時にまた別の物事が発生して、終わる。同じことは二度と繰り返しません。世界とは、そうやって生じては滅する現象の流れなのです。この現象の流れの中…
自我の錯覚は、「錯覚」ゆえにさまざまな形となって現れます。空に浮かぶ雲がいろいろな形に見えるのと同じことです。自我の錯覚の場合、まず「慢【まん】」という形をとって現れるのです。パーリ語では「māna【マーナ】」と言います。慢(māna)には「測【…
ヴィパッサナー瞑想でまず教えるのは、体の動きを止める「ストップモーション」です。体を無理やり止めると、体という物体を動かすエネルギーをひしひしと感じます。自己観察する人には、「これが生きているエネルギーだ」とわかります。体を止めておくこと…
生きることには失敗が付きものです。失敗すれば、自分だけでなく周りの人々に影響が及びます。そこで「常に懺悔の気持ちを持ちなさい」とブッダは教えています。「なんで懺悔しなくてはならないのか、私はそれほど悪いことはやっていないのに」と言いたくな…
「いわゆる世間で悪人と言われている人が、豊かで喜びに満ちて生きているように見えるのはなぜか?」という質問を受けたことがあります。因果法則では悪因悪果であるはずなのに、悪人がどうして幸せそうなのか、疑問が湧くことでしょう。 まず「悪人」と言っ…
自分が悪いことをしたのに、相手に対して申し訳ない気持ちになれない。 向こうにだって落ち度があるはずだと、つい思ってしまう。それは自我が強くなっていることの表れです。 「私は正しいのだ」という錯覚が、あまりに強固になっているのです。そんな時は…
智慧とは不思議なもので、知識と混同されることもありますが、実は全く異なります。智慧が生じると、それに応じて、その人の人格が変わります。なぜ人格が変わっていくのか、少し説明しましょう。 智慧が生じる以前、私たちは幻覚を紛れもない事実だと思って…
年齢を重ねて孤独を感じることは、自然の流れです。しかし、「孤独が耐え難い」となると別問題です。「耐えられない」ということは、人間関係にひどく依存している表れです。歳をとっていく中で、肉体的ではなく精神的に、自分が独立することを考えた方が良…
ある宗教者や文化人について、「この人はブッダと同じことを言っているのでは?」と質問されることが時々あります。そう質問したい気持ちはわかりますが、私としては「ブッダと同じといえる人はいません」と答えるほかないのです。というのは、まず真理に照…
仏教とは「生きる」という問題に答えを見つけた教えです。教えと言っても、宗教とは違った解決方法を示しました。ブッダは世の中の決まりや固定概念を一切捨てて、「生きるとはどういうことか」と客観的に観てみることにしたのです。お釈迦様は出家する前、…
Avijjā【アヴィッジャー】(無明)は生命の基礎衝動です。どんな生命も大変なエネルギーを使って、必死に生きています。「生きていきたい」という衝動が無明です。心に「怒り、嫉妬、憎しみ」などが起これば、「自分に怒りがある」と簡単に分かります。 しか…
心はいろいろなものに依存して苦しんでいます。心が知らないのは、依存しなくても実は何の問題もないということです。心が「何かに依存する必要はないのだ」と知り、あらゆる執着を手放したら、悩みも苦しみも期待することもなくなります。その結果ようやく…
怠けとは何でしょうか? 貪瞋痴の中の貪りではないことは確かです。貪りとは欲のグループです。欲しいものがあれば、人は怠けずにそれを追いかけて頑張ります。この場合は、怠けが働きません。つまり、欲があれば行動的になるということです。また、怒りも人…
「嘘をつくなかれ」とは世界の普遍的な道徳で、仏教でも五戒の一つに入っています。ただし、世間一般の人が守る「嘘をつかない」ことと、預流果に達した聖者のそれとは、実は中身が違うのです。世間では「嘘を言葉にしない」という意味で道徳を守っています…
この法話は、スマナサーラ長老の「2023年11月12日 ゴータミー精舎カティナ衣法要記念法話」より編集したもので、 パティパダ−2024年2月号に特別掲載されました。(パティパダーは日本テーラワーダ仏教協会の月刊誌です) ・・・・・・・・・・・・・・・・・…
私たちは自分の死に怯え、恐怖や不安を感じます。「死にたくない」と思って怯えているのに、実はこの「死にたくない」という気持ちが生命を生かしているのです。言い換えれば、「呼吸、食事、健康管理、仕事など死なないためにするさまざまな努力によって、…
解脱に達するためには、内的な条件と外的な条件がある。お釈迦様はそう説きました。内的な条件とは、yoniso manasikāra【ヨーニソー マナスィカーラ】(如実作意【にょじつさい】)です。これは先入観・バイアスをはずして物事を認識すること。具体的には、…
仏教は宗教ではないと言うと、首を傾げる方々がいます。しかし、仏教のボキャブラリーには、宗教の世界の常套句である「信じましょう」「祈りましょう」は存在しないのです。その代わりに、しつこいほど繰り返して、「観察しましょう」と教えています。観察…