ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

先祖供養について

質問

「先祖供養について教えてください」

 

 

回答

スマナサーラ長老談)

 

先祖供養は文化的なものであると、まず理解しなくてはいけないんですね。

西洋文化やイスラム教文化ではあまり先祖供養はしません。

 

亡くなられた方々を思うのは、人間として恩を知っている人間だということです。

神様に任せましたよ、というのはわれわれ東洋人にとってはちょっと、なにか物足りません。

キリスト教の方々は、亡くなったら埋葬して終わってしまうという。文化的にわたしたちは、恩を知る、感謝する文化の人間です。

 

われわれは、得体のしれない神に感謝するというのでなく、親に感謝する、師匠に感謝する、祖父母に感謝する人間です

そこはインドでも同じことです。

 

では普遍的にみてそれが悪いことか? 

決して悪いことではないのですね。人間がやっている習慣は、良いものであれば仏教はそれを取り入れます。人間に不幸になる習慣は批判するんですね。というわけで、先祖供養という文化は、仏教ではおおいに良いことだと認めます。これは仏教独特のものではありません。お釈迦様が新しく人間に紹介したのもじゃないんです。世にあったものなんです。

 

お釈迦様の時代より前から、インドでは先祖供養の習慣がありました。

しかし、そのやり方がマズいと。そんな方法では先祖供養にはならないんだよと。インドで当時やっていたやり方は、死者がいく世界があって、そこに品物を送らなければいけない。そこで品物を火で燃やすことで死者の世界に送るんだ、という方法でした。

 

そこでお釈迦様は、神秘的で非科学的な方法は改良しましょう、としました。

 

残された人々は、亡くなった人々がどこに行ったか分からないけれど、「幸福でいてほしい」という気持ちがある。それでこころの法則から、善行為という力を伝えることができます。

だから善行為をして、その力を他の人々に送ってあげてください。その送るという気持ちだけですが、向こうが、「ああよかったな」と思ったらオーケーなんです。だから必ず先祖供養に入るかどうかは定かではありません。

 

わたしたちは善行為のパワーを送信する。

それを受け手が受信するかどうかはわからない。

だからとりあえず送信しましょう、ということで功徳を回向するんですね。

 

お釈迦様がおっしゃるのは、必ず功徳を受ける生命はいますが、自分が狙った先祖ではないかもしれません。亡くなったお父さんを狙って回向したけれども、お父さんは受けられないかもしれません。

ですから、ひとくくりに「先祖へ」として送信するんですね。そうすると必ず先祖の方々が受信しますと、お釈迦様に説かれています。

(東京 法話と実践会 2017.01.09 説法めもより)