ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

妄想はなぜ起こるのか?

質問「瞑想中の妄想はなぜ起こるのですか?」

回答(スマナサーラ長老)

たくさん答えがありますけどね(笑)

分かりやすく説明すれば、私たちの大脳は原始脳に誘拐されているんですね。

原始脳にあるのは恐怖感と存在欲、自我。理性はないのです。ただ生きていきたい、これだけです。

「生きていきたい」という欲求を邪魔するものに対してすごく恐怖感がある。怒りと言うのも恐怖感から出てくる感情です。

 

怒る時は「嫌な奴ら」に対して怒るでしょ。なぜなら「嫌な奴ら」は自分の存在を応援してくれません。自分の自我をおだててくれないのですよ。それで怒るんです。

「お前バカだ」と言われたら怒るんです。自分をおだてていないからね。

 

恐怖感から怒りの感情などが湧いてくる。感情には理論がありません。なんで欲張るのか、とかね。理由も何もなく、原始脳から出てきます。

 

思考するのは大脳ですね。世間がどんなものかと知っているのは大脳の方です。見たり聞いたり感じたり考えたりするのは、大脳です。しかしこの大脳は誘拐されています。自由がありません。誘拐犯に言われるがままなんです。

 

そこで原始脳が、自分の汚い感情を引き起こすんです。その信号をすぐ大脳が受けます。それを受けて、欲の感情に合わせて妄想する。それは思考じゃないんです。

 

怒りの感情に合わせて妄想する。(世間的には)「妄想」を「思考」と言い換えてもいいけれど、「思考」は本来論理的なものです。だからここでは「妄想」と言います。

恐怖感に合わせて妄想する。自我と言う感情に合わせて妄想する。

感情は屁理屈ですから、感情をストップすることもできない。論理的なものだったらすぐストップできます。だからとりとめのない妄想がずーっと大脳で起こるんです。

 

たとえば大脳が欲の妄想をすると、どんどん欲の感情が強くなります。その感情を原始脳にフィードバックして栄養を与えます。原始脳は「獣の脳」とも言いますが、その獣がなおさら強くなっていっちゃいます。それがどんな生命にもあります。

そういうふうに妄想が出てきます。

 

ヴィパッサナー瞑想は、この誘拐されている大脳を救出させます。それで本当の自由を掴むのです。だから脳の改革が起こるんです。

 

「生きていきたい」ということは屁理屈でしょ。だって誰でも死ぬんだから。こんなの怖くなるはずがないでしょう。自然法則だから。我々は雨が降ることで怖くなる? 別に普通でしょう。

 

今は寒いでしょう。それって大きな問題? いえ全然。ごく普通です。だから落ち着いていればいいでしょう。

 

しかし落ち着いていられないんですよ。死にたくないんです。

 

だから原始脳にやられてるっていうことをよく理解しなくちゃいけません。獣の指令で生きているんだよ、と。それは恥ずかしいでしょ。獣に導かれていますよ、というのはね。

恥ずかしいんだけど、どうしようもないですね。

 

だからお釈迦様だけこれを解決する方法を教えました。世間にはこの解決法はありません。感情に打ち勝つ方法は。

 

そういうことで、このヴィパッサナー瞑想をするしかないんです。この瞑想は精密に脳科学的にできています。仏教はまるっきり脳科学ではないんだけど、さらにその上の「心」を扱いますが、瞑想が第一段階くらいまでは脳科学と言う理解で十分です。そのあとは脳科学も蹴っ飛ばしちゃってさらに進まなければいけなくなりますけどね。

 

この原始脳が大脳を刺激して、何の意味もない役にも立たない、しかも危険な妄想をさせています。

妄想すると時間が浪費する。やるべき仕事はできなくなる。やっていても失敗する。危険な感情がどんどんかき回されて強化する。こういう悪いことしかありません。

 

妄想が悪いと断言できます。「黒」です。「灰色」ではありません。

 

思考になると、正しい思考、間違っている思考、いろいろありますけど、思考と言うのは理論によって組み立てられます。それからデータも必要ですね、脳に。

 

私たちに正しく考えましょうと言っても、難しいですね。一時間のうち、1分考えると、あと59分は妄想している。だから何か考えるのに一時間もかかった、ということになってしまう。本当は物事を考えるのにそんなに時間はかかりませんよ。

瞬時にさっさと考えられます。コンピュータより早いんです。でも妄想が入ってしまうんだから。それでコンピュータが勝ちます。コンピュータは妄想しませんからね。

 

コンピュータは考えているわけではないんだけど、論理の組み立てでしょ。数学的な。コンピュータプログラムにも何か邪魔が入ってしまうとね、引っかかっちゃうでしょ。すごく時間がかかってしまう場合もあります。

 

脳もパソコンと似たような感じで、1か0で動いています。

たとえば、思考して結果として欲を作りなさい、というと、大脳が思考して結果として欲の感情を作り出しちゃう。欲がある⇒思考して欲を作る⇒欲がある⇒……というループでしょ。プログラム形式でちょっと考えてください。

 

感情はすべてループプログラムになっていて、脳は大事な仕事が何もできなくなります。

ループがかかっているので、私たちが瞑想を頑張っても簡単にうまくいくわけじゃないんです。

かなりしつこく、負けず嫌いで、かなり頑張って精進しないといけません。

 

仏道の八正道と言いますけど、精進と言う言葉はしっかり入っています。正精進(しょうしょうじん)、正しく精進しなさい、と。精進は誰だってやってますけどね。

 

妄想が入ってしまうのは、まだまだ原始脳が抑えられていないから、大脳が解放されてないから仕方がないんですね。がんばるしかないんですね。

 

私たちは妄想自体が悪であると、無駄であると、危険であると、汚物であると、まず理解しておく。妄想は、瞑想中は潰しますけど、瞑想していないときでも妄想が入り込んで来たら「あ、汚物が入りました」とかね。「あ、自分がまた悪行為をしている」とかね。そういうふうに自分を戒めて、妄想の流れをストップする。

 

料理中、妄想が入り込んで来たら、サッと実況中継に切り替えて、妄想の流れを切る。

そういうふうに絶えず努力をしなくちゃいけません。勝利を得るまで。勝利を得たらもう何の問題もありません。一切の問題が解決したことになります。自分が間違いを起こすと言う危険性が消えます。もう感情はないのだから。汚い感情は。

原始脳の感情があるところは、きれいになります。

 

「感情がなくなっちゃうとさみしい」と心配する必要はありません。あれは原始脳の考えです。

「喜怒哀楽がなくなったらどうしよう?」いえ、ものすごく至福感を感じます。

 

醜い喜怒哀楽ではなく、ものすごく充実感と至福感と、安穏、落ち着きでいっぱいになります。

感情が空(から)になるのではなく、素晴らしいもので置き換えられますから、頑張った方がいいと思います。

 

仏教的な答えは、煩悩がある限り妄想は現れます。智慧の完成が無い限り妄想が現れます。

 

智慧の完成が無いと言うことは、物事をありのままに知らないと言うことでしょ。ありのままに知らないと、思考することになるんです。考えるのは、答えを知らないからなんです。智慧が完成していない場合は、「これはどうなっているんですかね。なんでこうなっているんでしょう」と考えなくちゃいけない。それで思考すると、ものすごく危険ですぐ妄想が、感情が入ってきます。感情が入ったら妄想なんです。

 

数学の問題を出されて、自分がその答えを知っていたら考える必要が無い。「答えはこれですよ」と一発で言えますね。

子供に数学の問題を出すと、子供は一生懸命考えるでしょ。そのとき、「嫌だこんなの。なんでこんなことやらなくちゃいけないんだ」とかね。妄想が割り込んじゃって。3分で答えられるはずなのに30分もかかってしまうということになる。

 

智慧が完成してないと言うのは普通の問題ですけど、でもそれによって思考する羽目になる。思考すると感情が割り込んできて、妄想になってしまうという恐れがあります。

だから仏教的な答えは、煩悩がある限り妄想は起こります。智慧が完成されていない限り妄想は現れます、ということになります。

 

法話と実践会 2014,11,23 http://www.ustream.tv/recorded/55726413 

動画上で最初~20:00頃よりメモしました。

f:id:thierrybuddhist:20141125092126j:plain