ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

自己流から身を守る方法

質問

「長老のお話で、冥想についてなんですが、自己流にする現代人に困る、とか、長老が教えた通りにすれば、二週間くらいで預流果に覚るとおっしゃっていると思います。

一方で、誰も長老の言う通りにやらないとおっしゃっていると思います。自己流というのとは別に、調整が必要だともおっしゃっています。たとえば、七覚支の話の場合は、喜びが足りなかったら喜びを補わなければいけない、など。

そういった形で自己流と調整の違いや、自己流に陥らないで個人個人が工夫すべき点を教えてください」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

自己流になる可能性は99パーセントありますよ。だって、自分で考えなくちゃあかんだから。自分で判断しなくちゃあかんだからね。

きれいさっぱり自己流、自分の理解、からは抜けられません。自分が理解しなくちゃいけないんですよ。これは理解が合ってないとね、困るんです。気をつけるのはそういうところなんですよ。

 

自分で認識するしか方法がないしね。というのは、わたしがこういうふうに思いました、ではこういうふうにやります、といったところで自己流になっている可能性があります。だから、わたしがこういうふうに理解しました、というところが合っているかどうかなんです。問題は。だから、大量にしゃべっていますよ。ものすごくいろんな角度からしゃべっています。

 

これを解決する方法と言うのはいたって簡単。経典を参考にする。経典の中でも、ブッダに説かれたというものを。いろいろ編集した人が付け加えたものがありますから。そこをちょっと遠慮しながら、ブッダの言葉のみを参考にするんです。そこがわからなくなったら、ちょこっとほかの経典やら注釈を参考にする。

 

だから、仏説が絶対的権威があるんだよと言う立場を、われわれ仏教徒は持っているんです。自分の意見は何であっても、科学者が何を言っても、世界中の人類が何を言っても、絶対的に決定権を、われわれはブッダに与えています。お釈迦様が違うと言ったら違いますよ、と。

 

あとは、「わたしもわからないんだけど、お釈迦様がおっしゃっているんだからこれは違いますよ」というふうな立場を取るんですね。それで、自己流の問題から身を守る。それしかないんです、方法は。

 

自己流になっちゃうんです。だって、自分が理解しなきゃどうにもならんでしょう。「自分の理解が、本当だからそれでいい」となっちゃったら、ちょっと待ってくださいと、ブッダの考えを参考にしてみるんですね。そうしたら自分の考えていることと違ったとしたら、「わたしが間違ったんだ」と、そのやり方なんです。

 

わたしはずっとそのやり方でやっています、いまだに。結構自由にしゃべっているでしょう? いろんなことを好き勝手に自由にしゃべっているんですけど、いつでも参照しているんです、ブッダの考えを。これでいいのか? と。

 

最近も、ある難しいテキストを作っていますけど(2012年当時)、あるセクションになってきたら、「これ困っちゃったな、自信がないな」と思ったんです。それで、さっさとテキストを調べましょうと。参考にしようとしたら、あるはずのところにテキストがないんです。これでさらに困ったと、全部経典を検索しましょう、と。これは結構ややこしい作業になる。それで結局、説明がのっているはずと思ったところとは違うところにありました。

それで、「ほら、やっぱりわたしの言った通りでしょう」とか、冗談を言ったりして(笑)。

 

そういうふうに、自己流になるのは未だにわたしも怖いんです。こんな自由にしゃべっているのは、かなり怖いんです。ですが、しゃべっていることはブッダの言葉に照らし合わせています。それで、自己流にならないようにしています。それしか方法はないと思いますよ。

 

そんなこと言っても、皆さんにハンデが出てくるんですね。日本語訳で読まなくてはいけないでしょう。原文で読んでも全部わかるわけじゃないんですね。わからないものっていうのは結構出ます。わからないものが出てくると、また研究しなきゃいけなくなっちゃうんですね。この言葉のもとはどうでしょうか、とかね。どんな意味で使っていたのかとかね。結構、頭は大変な仕事をしています。

 

「世界で何を言われても、自分が何を思っても、ブッダが言っていることが正しい。わたしは正しいはずがないんだ」という、わかりやすいエピソードを言いますよ。

 

お釈迦様がすごく信頼している在家の人が、子供が死んじゃって、ものすごく悲しくなっちゃって。遊び盛りの子供が、いきなり病気になって死んじゃったんですね。父親にとってはこれは我慢できなくて、ご飯は食べないわ、からだは洗わないわ、服は着替えないわ。そのまま落ち込んでいったんですね。それで一週間がたっても、本人は動かない。

 

一応、周りも言うでしょうね、それではだめだと。なんとか動かなくてはあかん。それで思い出したのが、それではブッダに会うしかないでしょうと。それでお釈迦様のところに会いに行ったんです。その人も生きていかなくてはならないし、それなら最初一歩としてブッダに会いましょうと。

 

お釈迦様は、その人に会うなり、「あなた変だよ。すっごく変だ」と。普段とまるっきり違う別人だ。髪は乱れて、服装は汚くて、ものすごくやつれている。どうなっているんですか?と。

 

その人はお釈迦様に、「わたしはこんな姿になるしかない、ほかに方法がないでしょう」と言ったんですね。わたしの小さい子供が、遊び始めた時期なんですけど、突然死にました。あんなにかわいい子供が。何から何までこれと言う問題もないすごくいい子でした。

子供に対して愛着が物凄くありました。

 

「そうですね、あなたの今のすべての苦しみは、愛着が作っているんですね。あなたにとっては、一番欲しいもの、一番気に入っているものがあったんだから、あなたは苦しんでいるんです。欲しい物、気に入っているもの、期待するものがあったならば、それが苦しみのもとだ」とお釈迦様が言うんです。

 

そう言ったら、この人はお釈迦様の言葉を認めたい? 認めたくないんです。理解もできそうにない。お釈迦様になにか失礼なことを言われたような気分です。

 

お釈迦様には逆らえませんよ。ブッダに説かれたんだからねぇ……、という感じ。でも納得いかない。反論は何もしないでそのまま帰って行くと、帰り道に、不良のはみ出し者グループがいたんですね。そのグループは、酒を飲んだり賭け事をしている。インドでは賭け事は、はみ出し者のすることでした。

 

そのグループの一人から、「あんたはどこに行って来たの?」と聞かれて、

 「釈迦尊に会ってきたんだ」と答えました。

 

それで、「人間にとっては、愛するものやほしいものが苦しみのもとだとブッダは言うんだよ」と在家者は言いました。

 

すると相手は、

あの沙門(しゃもん。お坊さん、という意味)は何を言っているんだ。あほじゃないか。ほしいものがあったら楽しくてしょうがないだろうに。どこで苦しみが生まれるんだ。金がほしい人に金が入れば楽しいじゃないか」

 

それで、はっと在家者は気づいちゃったんですね。

「わたしの考えは偉大なるブッダとは合わない。しかし、このはみ出し者たちとはピッタリ合います。ならばブッダが正しいに決まっている」

と思ったとたん、分かったんです。

 

「人は死ぬものだ。今苦しいのは、子供が死んだことではなくて、子供に対する愛着そのものだ」

 

そこでその人は、元気になって家に帰りました。

 

その在家者は、以前からブッダに話を聞いていた仏教徒だけれど、そういう人にしても、ブッダの言葉に、「そんなこと言われても……」という気持ちがありました。そのときであっても、ブッダが正しいんです。

 

ブッダがやめなさいと言ったらやめるんですよ。たとえば、ブッダが酒をやめなさいと言ったらやめてください。ブッダが神様だからでもないし、全知全能だからとか、そういう話じゃないんです。

ブッダは真理を語っています。お酒も、やめなさいと言ったらやめるべきなんです。

 

この間も同じような質問が出たんですね。「世間の考えとブッダの考えは正反対だから、世間の考えにわれわれが合わせることは詐欺にならないでしょうか?」と。

 

わたしは、「勘違いもいいところだ。世間で言っていることとブッダの言っていることは正反対ですけど、ブッダの言っていることに人間は逆らえません。たとえば、日本の政治家が権力欲や財産欲で汚れていることはキリがない。仏教はそういうことは認めない。しかし、わたしはその人々にこう言いますよ。『あのね、先生。権力を悪用してはいけませんよ。国民に雇われているんだ、と言う気分でやってください』と言ったら逆らえますか(それは違う、と言えますか)?」

と言いました。

 

だからブッダの言葉に世界は逆らえません。それで考えてみてください。今は酒を造る会社が、一生懸命、酒ではない飲み物を出しています。日本人はビールが好きでしょう? しかし、今はノンアルコール・ビールが一番売れています。酒造会社も、健康食品やら作る。だから、流れはそうなっています。

 

「ブッダの顔は隠しておいて、世間に別の顔を見せるのはインチキではないか?」ということは話にならない。仏教を分かっていない、ということになります。

 

酒造会社はバンバン酒を売って、日本人をアル中にすることもできるでしょう。でも現実はそうじゃないんです。酒ばっかり売っていてはマズいとその会社もわかっているんです。だからと言って商売しなくちゃあかんでしょう。それであるならば、人間を助けて儲かりますと、いっぱいノンアルコールの飲み物を作って売っていますよ。

 

世間がどんな意見でも、科学者がどんなことを言っても、「わたし」がどんな意見でも、ブッダの言葉に参照したら、「これはちょっと違うよ」となったら、ブッダの言っていることが間違っているというのではなく、ブッダの言葉が正しいんです。これは変わらないんです。

 

そういうわけで、自己流から身を守る方法は、ブッダの言葉を参照することです。そういうふうに頑張ってください。

自己流と工夫 に続きます)

 

関西定例冥想会 2012.05.26

http://www.voiceblog.jp/najiorepo/1732337.htmlより書きました。

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【目次】説法めも

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