(自己流から身を守る方法 から続きます)
質問
「工夫という点についてはどうでしょうか?」
回答(スマナサーラ長老)
工夫するときは結果で考えるんですね。結果が出たら工夫はそれでよろしい、ということです。工夫しても結果が出なければ、その工夫はあまりよくない。これは簡単です。
質問者「結果と言うのはどう判断するんですか?」
どうしてあなたは工夫するんですか? 結果も何も考えないで工夫する? なんの目的もなくどんな工夫をするんですか?
あなたにたとえば、この照明を下ろしてくださいと頼むとする。このままでは下ろせないでしょう? 工夫しなくちゃ。
そこで、飛び上がって取ろうとする。それも工夫でしょう? 「あ、高い。では飛びましょう」と。でも照明は取れませんね。だからこの工夫はダメでしょう。
次にあなたはハシゴを持って来て、電気を消して、どうやって繋がっているのかと下調べしてから外す。結果はOKでしょう? 工夫は合っている。
そういうふうに工夫は結果で見るんです。期待する何か、目的がなければ、工夫するという言葉さえ成り立ちません。いつでも、「これだったら、この場合はどうしようか?」ということで工夫が生まれる。
工夫が出たっていうことは、なにか達するべき目的が現れたんです。すごく簡単なことです。工夫は結果でみる。結果が出なかったら、その人はまた考えるんですよ。「この工夫はあかんや。別な工夫でやらなくちゃ」と。
そういうふうに、間違った工夫から正しい工夫に変わるんです。
(おわり)
関西定例冥想会 2012.05.26
http://www.voiceblog.jp/najiorepo/1732337.htmlより書きました。