ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

スッタニパータ(経集)5.彼岸に至る道の章、7(6).学生ウパシーヴァの質問 Suttanipātapāḷi 5. Pārāyanavaggo 7(6). Upasīvamāṇavapucchā

5月26日(2017)東京 ゴータミー精舎にて、スマナサーラ長老のスッタニパータの解説講座がありました。

 今回の経典は、スッタニパータ(経集)5.彼岸に至る道の章、7(6).学生ウパシーヴァの質問です。

 

1075(1069).‘‘Eko ahaṃ sakka mahantamoghaṃ, Anissito no visahāmi tārituṃ; Ārammaṇaṃ brūhi samantacakkhu, yaṃ nissito oghamimaṃ tareyyaṃ’’.

 

1075(1069).ウパシーヴァさんがたずねた、 「シャカ族の方よ。わたくしは、独りで他のものに頼ることなくして大きな煩悩の激流を渡ることはできません。わたくしが頼ってこの激流を渡り得る〈よりどころ〉をお説きください。あまねく見る方よ。」 (中村元 訳)

 

「激流」とは何でしょうか?

スマナサーラ長老のお話では、1.Kāma(欲), 2.Bhava(存在), 3.Ditthi(見解), 4.Avijjā(無明) という4つの激流があるということでした。

「わたしたちは見解なしに生きていくことはできません。この見解とは、Ditthiのことです」と、スマナサーラ長老。「たとえば、ここに仏像がありますね。しかし、これを仏像と捉えるのは、わたしたちの見解です。どの生命にとっても『仏像』ではありません」

 

また、Avijjā(無明)についても説明がありました。

「無明は一番理解しずらいものです。なぜなら、無明を自覚した時点で無明ではないからです」

 

続いて、二つ目の偈です。

1076(1070).‘‘Ākiñcaññaṃ pekkhamāno satimā, Natthīti nissāya tarassu oghaṃ; Kāme pahāya virato kathāhi, taṇhakkhayaṃ nattamahābhipassa’’

1076(1070).師(ブッダ)は言われた、 「ウパシーヴァよ。よく気をつけて、無所有をめざしつつ、『何も存在しない』と思うことによって、煩悩の激流を渡れ。諸々の欲望を捨てて、諸々の疑惑を離れ、妄執の消滅を昼夜に観ぜよ。」 (中村元 訳)

 

以下は、スマナサーラ長老の解説をメモしたものです。

「Ākiñcaññaṃは、この場合、空(くう)であり、無(む)です。

何もないということを観察します。しかし、空であり無であるならば、一体何を観察できるのでしょうか」

 

「見解なく観察していると、Ākiñcaññaṃを発見します。

ある禅定に達すると、「わたしも消えた、他者も消えた」という境地になります。しかし、Ākiñcaññaṃでは、その両方の概念さえもないのです。

これは虚無主義ではありません。頼りになるものは何もないのだという超越した発見で、一切が終わります」

 

 

この経典解説の動画は、日本テーラワーダ仏教協会Facebookに期間限定公開されています。

Twitterでの実況解説はこちらです。スマナサーラ長老の法話メモ(@jtba_talk)/2017年05月26日 - Twilog

  

 

Ven. Sumanasara explained about "Suttanipātapāḷi 5. Pārāyanavaggo 7(6). Upasīvamāṇavapucchā" on May 26, at the Gothami Vihara, Tokyo.

 

Suttanipātapāḷi 5. Pārāyanavaggo 7(6). Upasīvamāṇavapucchā

1075(1069).‘‘Eko ahaṃ sakka mahantamoghaṃ, Anissito no visahāmi tārituṃ; Ārammaṇaṃ brūhi samantacakkhu, yaṃ nissito oghamimaṃ tareyyaṃ’’.

 

What is ”Ogha”?

Ven. Sumanasara said, "the Ogha has 4 types. It means, 1.Kāma, 2.Bhava, 3.Ditthi, 4.Avijjā."

"We can not live without own dogma. That is Ditthi. For example, we look at the Buddha statue here. Why do you think that is Buddha statue? Every living thing realize so that? No, they don't."

 

"The most difficult understanding is Avijjā for us. Why? It is not Avijjā, if you can understand it anymore."

 

1076(1070).‘‘Ākiñcaññaṃ pekkhamāno satimā, Natthīti nissāya tarassu oghaṃ; Kāme pahāya virato kathāhi, taṇhakkhayaṃ nattamahābhipassa’’

 

"Ākiñcaññaṃ is Kuu(空,emptiness), also Mu (無, not have).", Ven Sumanasara said. " Ākiñcaññaṃ means that there is nothing, in this case. They observe there is nothing. But why they can observe it if there is indeed nothing? "

 

"If you observe without own dogma, you will discover Ākiñcaññaṃ.

When you are in a certain dhyana-samadhi (meditative concentration) , the subject  disappeares, the object also disappeares. In Ākiñcaññaṃ, neither of  concept is there.

It does not mean nihilism. It is a transcendent discovery that there is absolutely no dependence, then, everything is over."

 

 

The movie is available on Japan Theravada Buddhist Association Facebook.