質問
「長老は、ご著書でドゥッカ(苦)について様々な言葉で表現されていますが、お釈迦様がおっしゃった『ドゥッカ(苦)』の本当の意味はなんでしょうか?」
回答(スマナサーラ長老)
わたしが書いているのが、お釈迦様がおっしゃった意味のドゥッカなんです。
いつでも、経典にあるお釈迦様の言葉を参考にしながら書いています。
ずいぶん自分勝手にしゃべっているように聞こえるでしょう? しかし、ずーっと経典を参考にしているんです。
先ほどお二方の質問に答えたときでも、頭の中でかなりの量の経典が行ったり来たりしていて、それを参考にしたんです。だから、「むなしい」とか「価値がない」というのがドゥッカの本当の意味なんですね。
それは智慧で発見する意味です。
質問にあったように、普通の苦しみも、そのドゥッカの中の一つなんですよ。
無数の苦の中で、体の苦もあるでしょうし、病気になったりする可能性もあるでしょう。歳を取っていくこともあるでしょう。少しもおもしろいものではないでしょう? それから、病気になったらどうしようか、と心配することも苦しみでしょう。「わたしは病気になりませんよ」とは、冗談でも言えないでしょう?
だからどれほど苦しみがありますかね、そう考えていくと。
病気になるかも知れません。死にたい? 死にたくないでしょう。でも「死ぬかもしれません」じゃないでしょう、それだけは。
「病気になるかもしれません」は成り立つ言葉ですけど、「死ぬかもしれません」は成り立たないでしょう。
一番いやなことは確実に起こるから。これも苦しみなんですね。
希望している金額の収入がない場合は?
好きな人々と離れなくてはいけないときは?
どうしても嫌な人と仲良くしなければいけない場合は?
さっき会社の人間関係の話が出たでしょう。怒っている連中と付き合いたくないでしょう。でも逃げるわけにはいきませんね。逃げられないんです。それも苦しみなんです。
自分の過去を思い出すと?
苦しみが生まれてきます。過去の失敗を、「あれはやらないほうがよかった」と思うと苦しみが生まれてくる。
逆に「過去はよかった」と思うと?
「昔の仕事は結構収入もよくて楽でした」と思うとそれも苦しみでしょう。だから過去の成功を思い出しても、過去の失敗を思い出しても、生まれてくるのは苦しみなんです。
では将来のことを考えると?
苦しみが生まれるんです。不安でたまらなくなっちゃうんです。暗い将来を思い描いても、明るい将来を思い描いても、どっちでも同じこっちゃなんです。
生まれるのは苦しみだけなんです。
過去のことを思いだしても同じことです。
過去の幸福を思い出しても、過去の不幸を思い出しても苦しみが生まれてくる。
将来の幸福を夢見たっても、不幸を想像しても、とんでもない苦しみになっちゃう。
生きることに苦しみのほか何かあるのかい、とそれがお釈迦様がおっしゃった「苦」なんです。
生きるとは苦であり、と。
これが真理であって、誰にも否定できません。
どんな宗教家でも。
否定できませんけど、嘘を言っている人もいますよ。
「人間には幸福にとんだ魂があるんだ」とかね。「人は死んでも魂は死にませんよ」とかね。そんなにすごいやつがこの体の中にあるならばね、なんで微塵も感じないんですかね、それを。
一欠けらもないでしょう。
「これがよかった。吾輩は満足だ」ということが。
それを言うならば嘘で、自分の利益のために人をだます。
ブッダの苦はそういう苦で、わかりやすく言えば、俗世間で思っている苦しみも当然入っています。抜けているわけではないんです。
怪我したら痛いでしょう、苦しいでしょう。それも入っています。それはただの「苦しみ」ということで、苦しみを説明するリストの中にありますが、それはただ肉体的な苦しみです。
(終わり)
<「手放すことが生きること」スマナサーラ長老との対話(2012年12月09日)
https://www.youtube.com/watch?v=xL37dMGnF9E を聞いて書きました。>
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