わたしの祖母は介護施設に入居している。
そんなこともあって、タイトルが気になって読んだ。
「介護施設で死ぬということ」
この本の著者が、そのホームを見学した時の様子が冒頭の方に書かれてる。このホームで介護棟からターミナル棟へ移動する基準は、体重測定による「みなしターミナル」ということで、ターミナル棟に移ったら一切の医療行為を行わないそうだ。実際にそこで最期を迎える人々は、安らかに息を引き取る「みんな同じような最期」を迎えるという。
「とてもシステマティックで、これなら家族にも、そこで働く職員にも迷いや戸惑いはないだろうな」と著者は述べている。
逆にそれが著者にとって「強い違和感」になったそうだ。「迷いや戸惑いのないターミナルケアが本当のターミナルケアと言えるのか」と。
そこで2章からは、介護アドバイザーの著者による経験から、「迷いや戸惑い」の中のターミナルケアの実情が続いていく。
具体的に何が「迷いや戸惑い」のかというと、親の死に方について決断を任された子供が、迷い戸惑うのだ。施設で最期を迎えるのか、病院へ移るのか。口から食べられなくなったときチューブを入れるのか、施設で状態が急変したとき救急車を呼ぶのか、どこまで「何もしない(何も医療行為は行わない)」のか……。
また、介護スタッフもおおいに迷い戸惑う。今まで接してきた入居者が、いざ死に近づくと冷静ではいられない。家族側との意見の違いも出てくる。
著者の施設では、”臨終のあと”、希望すれば最後の入浴介助を行っているという。
すでに遺体となっているお年寄りに話しかけながら、本人(遺体)、職員、家族の三者で入浴する場合もあるそうだ。そこで家族は最期の親孝行ができたと思ったり、湯上りの親に好きだった着物を着せたりする。結果的に、残された家族にとって、こころのケアになっている様子がつづられている。
映画「おくりびと」を彷彿とさせる。
最後の入浴介助はともかくとして、ターミナルケアで仏教的に罪にならないような選択を家族がしていくには、かなり智慧が必要そうだ。