ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

『私の嫌いな人、嫌っている人も幸せでありますように』とは、思えません!

質問「慈悲の瞑想の中に、『私の嫌いな人、嫌っている人も幸せでありますように』という箇所があるが、自分には理解できないのですが?」

答えのポイントまとめ

  1. シミュレーションで「嫌いな人」を想像しない

  2. 現実の自分にとって誰が「嫌いな人」かを挙げる

  3. その「嫌いな人」の嫌な部分は「個性だ」と認識する

  4. 慈悲の瞑想は人格を向上させる

  5. 人格が向上すると、何か被害を受けても、こころの安らぎまでは持って行かれない

2014年9月14日(日)法話と実践会よりメモしました。

動画:http://www.ustream.tv/recorded/52643301

 

回答:シミュレーションするからです。それは妄想です。現実をみてください。

泥棒に入られたことはありますか? ないですね。シミュレーションしないで現実的に見ると、そんな大きい問題にはならない。テロリスト、大量破壊兵器を作っている人々、世の中には色々な不安要素がある。それを考えると安らぎが無いでしょ。

 

そうじゃなくて、現実的に生きてみる。世の中にはテロリスト、犯罪者がたくさんいる。そのことを考えると嫌な気持ちになる。じゃあ日本はじっさいにどうですか? 平和でしょ。現実をみましょう。

 

私、「田中」に対して嫌な人は誰ですか? と考えてください。

嫌な人と思っても、嫌な人は実際みんな身近な人々なんです。

追い出すわけにはいかない。嫌な人っていうのは変なんですね。嫌な人はあなたに親しい人なんです。例えば家族とかを、「うるさい、嫌だ」と思ったり。でも誰だって個性がある。

その個性が合わないだけ。身近にいるから、個性がぶつかる。夫婦もそうです。

それぞれの個性があります。合うところ合わないところ。だけど、それは許してあげる。こんなふうに、嫌いな人をはっきりと具体的に出してみると解決する。

シミュレーションでは成り立たないんです。

 

自分の子供を殺された人がいます。それでもその人は加害者を心配する。自分が子供を殺されて、あまりにも悲しみをかんじたんだから、そのような悲しみを加害者の親に感じさせてはいけない。

自分が加害者を憎むと、その親もひどい悲しみに陥ってしまう。そういう風に思考すると、被害者の自分もすくわれる。

ときどきそういう人格者がいます。

 

みなさんも慈悲の瞑想によって素晴らしい人格者になれますよ。

万が一被害を受けても心の安らぎは失われない。お金を持って行かれても「まあいいや」と。心の安らぎまでは持って行かれないんです。(おわり)