ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

芸能人をブッダはどう見るか?お釈迦様が答えたくなかった質問

質問「ドラマ・映画の俳優が役を演じるとき、俳優自身が喜怒哀楽を分かっていないと人を感動させられないのでは。ならば、俳優というのは悟っている人々なのでしょうか? それと、善人役と悪役では心への影響が違いますか?」

回答(スマナサーラ長老)これは答えるところじゃないんです(小声&笑)。*1

悟っているんですか、って、悟りってなんでしょうね。仏教をバカにしてはいけませんよ。

お釈迦様から見れば、職業の中で最低の職業なんです、それは。

 

エピソードがいつくかあります。

お釈迦様は漁師をやっている人々にも真っ向から非難したことはないんです。「それはやっぱり、ちょっと罪でしょう」とか、心配するんです。でも芸人に対してはその気遣いがないんです。

日本人は芸能人を神様だと思っているんだからね。それは日本の文化的な考えです。文化的な考えと言うのは、文化の範囲から出ると通じませんね。      

日本の文化的な考えでは芸能人をトップランクの職業だと思っている。だから芸能人に人生相談までしますね。その人々の人生はどうなっているんですかね。離婚も多いでしょう。不倫も多いでしょう。ものすごい借金したり。

あれは相談じゃないです。ただ口達者だから。芸人だから。我々よりすごく上手なんです。プロですから。

 

芸と言うのは、いかに妄想できるのかと言う話です。では、芸能人に心清らかな役を演じられますかね。そういうドラマさえもないでしょう。汚れた世界の出来事ばかりでしょう、ドラマにあるのは。不倫、足の引っ張り合い、頑張って儲かること。そういうプロットでしょう。だれでも妄想していることなんです。

 

芸能人の将来はすごく危険なんです。人をだまして生きてきたんだからね。立派な仕事と言うのは農業とかね、そういうものです。普通の大工さんとか、いろいろ物を作ってあげる仕事とか、医療関係とか。そういう仕事は人々を助けているんです。

 

芸能人は何をやっているんですか? 我々の妄想に燃料をかけているだけでしょ。我々の心は燃えているんだからね、そこへ親切に油を注いでくれている。

 

どんな職業でもプロらしくやらなければいけないというのは常識で、いろいろな役柄を演じなければいけない。自分の仕事をしっかりやらなければいけないだけの話で、それを悟ってるっていうのは(笑) だったら、畑でナスを作っている人も悟っていますよ。だって立派なものを作っているんだから。自分の職業が何であろうとも、見事にプロらしくこなさなければいけない。ただそれだけの話です。

(中略)

金が入ると人格が壊れていくんです。それは世の中の普通のできことです。大金をねらって職業につくと人間としてかなり問題があります。問題がなくても、この人(この人格)を殺さなきゃアカンです。初めはすごく優しいいい人間かもしれませんが、金がたくさん入るように仕事を頑張っていくと、やっぱり自分の優しい人間である部分(人格)を殺していかないと、そういう職業にはつけないんです。

 

仏教の人々が考えるべきなのは、豊かになるのは悪いことではないんだから、豊かになっても人格者としての道徳を壊さないで、それをさらに成長させる技が無いのか、なのです。

 

仏教の世界ではそれを教えているんです。金持ちになるなよ、ではないんです。何があっても人格を第一優先にしなさいよ、と。金があるかないかと言うのは、「その他の一つ」だけです。心配する必要さえないんだと。性格的に正しい人格者は、だいたい金には困りません。ていうか、生きることでは困りません。死ぬまで。

 

人間は頭がおかしいから金が欲しいと思うんだけど、人間が欲しいのは金じゃないんですよ。必要なとき必要なものなんです。必要なとき必要なものがあれば幸せなんです。金に限ってないでしょ。まず、金は必要じゃない品物でしょ。今必要なものを得るための手段として、金は一つの道具になっているんですね。それなのに、道具が神様になっているんです。

 

家が無い人に家が必要であって、金があっても家が無かったら意味が無いでしょ。その人に十分な金があるかではなくて、家があることが幸せなんです。

金を使って自分で家を建てることもできるし、建てなくても誰かから家を譲り受ける場合もあるし。もし、性格のいい人だったら、親戚の中で住む人がいない家があれば、「あなたが家の手入れをして住みなさい」ということになるんです。だから我々は人格者として生きているならば、必要なものは入ってきます。だから困ることは無くなるんです。

 

人類の歴史の中でずーっと金があったわけじゃないでしょ。金が現れた時でも、金が優先ではなかったんですね。お釈迦様の時代でも、もうお金って言葉はあったんだけど、お金優先の社会ではなかったんです。お金の役割は本当にわずかで、一部の人間の間だけ使われていたのですね。

当時インドで商売をやってい人も、金でやり取りしたり物々交換したりいろいろなんですね。それで物々交換の場合は、数学で計算した方が、どちらとも損しないで商売できるので数学が出てきて、それで稼いだ品物が現れてくるんですよ。

中東でもローマでも金の文化が出てきたときも同じことですよ、最初は。金が玉座に座ったわけじゃないんです。

 

それがどんどん金が優先になってしまった。すべて金です。

社会が認めるのは金持ちなんですね。なんで我々はそれに乗らなきゃいけないんですか。戦争まで起こるのは財産の問題でしょ。権力やら財産やら。

 

そういうことで、人格者であることはとても大事で、芸能人の中でも人格者がいればそれはそれで有り難いのですが、なかなか育ちにくい世界なんです。本当に無知幻覚の世界で、表舞台ばかりを見るからそういう錯覚に陥ります。舞台裏も見なきゃ。地獄ですよ。

 

極度に緊張するしね。映画は最近は何度も撮り直せますけど、昔は一回か二回でOK出したいんです。いまは何百回間違っても時間はロスになりますが、お金はロスにならない。デジタルだからいくらでも編集できますが、フィルムの場合は難しいでしょう。

舞台なら、袖でスタンバイして、出番が来たら瞬間で感情の世界に飛び込まなくちゃいけない。あれは脳に悪いだけです。一般人なら頭がいかれちゃいますよ。だから芸能人と言うのは少ないんです。

 

芸術世界と言うのは、感情の世界ですからブッダは認めません。良い芸術と言うのは、人間に善い人間になるためのメッセージを提案する芸術なんです。優しい人間、思いやりのある人間を作る芸術は評価できます。映画でも一万本中一本くらいはありますけどね。そういうのは売れないし、誰も見ないし(笑)

 

β関西活動報告 : '13 9/23 関西定例瞑想会@マーヤーデーヴィー精舎

Youtube上で21:00~47:20頃よりメモしました。

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*1:

仏教講義 25.自ら試し、確かめる (4)悟りを開いた人たち(2) 

■「芸は天国への道」と信じていた芸人より引用「お釈迦さま、私は毎日正直な気持ちで芸をやっています。芸の師から口伝として、献身的に芸をやり、人々を楽しませ、笑わせれば、死後、天国に生まれ変われると聞いております。お釈迦さまはこれについてどう思われますか」と。お釈迦さまは「その話はよしましょう」と言いました。しかし、芸人は同じことを再び聞いたのです。お釈迦さまは同じように「その話はよしましょう」と言いました。しかし芸人はまた同じことを聞いたのです。そこでお釈迦さまは「私はその話はよしましょうと言っているのに、あなたは三度も聞きました。では答えますから、お聞きなさい。……」