前回
悲しいお金の使い方 - 物惜しみの性格とは?(5) - ブッダ・ラボ - Buddha laboratory
そういうことで、「物惜しむ、あげない、共有しません」という気持ちが恐ろしいものなんです。
振り込め詐欺事件に遭遇するのも、物惜しみの方々なんですよ。自分の財産は共有しませんという気持ちでいるんです。そこで、やられちゃいますよ。それは一つの理由。それだけではないですけどね。
あの人のところに金があるんだから、どうやってそれを狙おうかと周りが計画するんです。
たとえば自分の貯金があっても、孫が持って行くわ、子供が持って行くわ、お嫁さんもブランドの服を「お義母さん、買ってください」と言ってくるわ、どこかに行ったらお嫁さんと孫たちのご飯を接待してあげるわ、そうすると、そのおばあちゃんに金があるということなんですよ。あのおばあちゃんの金が振り込め詐欺に入る? 入りませんね。なぜなら、使っているんです。
電話が来てね、「実はこういうことになった、おばあちゃん」と言わない、孫は。
自分の孫のことをよく知っているんだったら、詐欺に騙される? わたしは、わたしに電話をかけてくる人のことを、一声聞けばわかります。誰ですかと。人を知っているというのはそういうことです。
それだけじゃなくて、どんな精神状態か、わたしに嫌なことをする計画か、何か必要なことを言っているのか、それまで読めるんですよ、波長で。
何か嫌なことを言おうとすると、こちらが先に攻撃するんですね(笑)。
それで相手の問題も早く解決するし、それで嫌な顔をすることなく終わっちゃう、おもしろくね。
ですから、われわれは親しい人っていうのはね、自分を紹介しなくてもわかるはずなんですね。声でわかるはずなんです。
声だけでなく波長で、あいつはどんな気分か、今は、とかね。何か企んでいるんじゃないのか、と読めるんですよ、親しい人の場合はね。
なにか落ち込んでいるみたい、とか、何か企んで狙っているみたい、とわかるんですよ。親しい人っていうのはそういうものだから。
物惜しみになってくると、コミュニケーションが切れちゃうんですね。
それで攻撃を受けやすいことになります。
とにかく、幸福とは使うことで成り立つんです。
そこで使いまくったらあかんですね。道徳、倫理を守って使わなくちゃあかんです。
ご飯を食べたら幸せだからと言って、食べまくる? それは使い方が間違いなんですね。旅行したら楽しいんだけど、毎月四泊五日の旅行をする?
だからどんなものでも、道徳を守って使わなくてはいけないんです。
仏教的にさらに進むと、仏教は精神的に健康な状況を教えるんだから、使うと幸せになる。
使うためには、捨てなくちゃあかん。きれいさっぱり諦めなくちゃあかんでしょう。どんな収集家でも同じ。例えば、切手をコレクターする。自分のところに世界で四枚しかない珍しい切手がある。これは一枚五千万円で売れるとする。五千万円の財産があるんだぞと威張っていてもね。これが虫に食われたらどうするのか。ちょっと不注意で何か液体が、水でもいいんですよ、入ったら終わりですよ。
そこでコレクターでいる場合は、苦しくて苦しくてたまらん。
そこでこの人は、諦めることにした。この切手を売ります。オークションに出す。出すとこれを買いたい、また同じ病気の連中がいるんだからね。三人くらい現れると、どうなるこの五千万円は? もっと値が上がるでしょう。
それで、やっぱり切手も欲しいし、お金も欲しい、は成り立たないでしょう。
一つは諦めなくちゃいけない。諦めたら永久的に自分のものになりませんね。
そうやって法則を理解するんですよ。
だから、物に対する執着を捨てて諦めたら幸せが出てくる。
(続きます
法話・スマナサーラ長老 関西月例冥想会 2016.6.19
https://www.youtube.com/watch?v=_HKuPEM2Ze0 を聞いて書きました。
参考外部サイト:
文化遺産の話とお釈迦さまの教えとの間に何の関係があるのかと、皆さん、もうとっくに疑問に思っておられることでしょう。高価で大事なものも壊れていきますよ、とお釈迦さまは語っています。文化遺産を守る研究者たちは、この事実をよく知っていることと思います。