ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

私たちは私たちのサクラダファミリアを完成させる

質問「幸福を実感することが大事だ、と長老はおっしゃるが、幸福を感じ続けて解脱が目指せるのか?」

 回答(スマナサーラ長老)

希望だけがあっても、実行しないと結果が出ません。

人類に、解脱をしたいという希望を持ってほしいと言うのは、お釈迦様の最期の願いでした。我々は解脱と言うのは何かさっぱりわからないのだけれど、それでもお釈迦様のお願いだからやってみますよ、と着々と実行しなくてはいけませんね。

 

何をやっていても、目的からは逸れないようにします。

仕事をしていても、家族の面倒を見ていても、それはついでにやって、私には別の仕事があるんだ、違う計画があるんだと、着々とやっていれば目標に達しますよ。そうやっていれば機会が来ます。

例えば、今は子育てに忙しいとします。それでも、子育てしながら微妙に、その方向へも頑張っている。スキマ時間でさっさと頑張っていく。

 

そうすると、結構暇が出てくるんです。子育ては死ぬまでやるもんじゃないのだからね。そういう気持ちがあって子育てすると、子供っていうのは早く自立しちゃうんですね。自立して、かえって親の面倒を見るようになってきます。

そうなってくると親にやることが無いでしょう。それでもう、いくらでも修行の時間が現れてくるんです。

 

私のいたスリランカのお寺でも、満月や新月になると、朝早くから車やら三輪自動車やらで人が来ます。車は来て(乗せてきた人を下して)さっと帰ります。車を運転してきた人は、仕事があったり忙しいんですけど、自分の年老いたお母さんがお寺で修行するために、車で送ってきています。だから子供が親に修行させてあげてるんです。親はそれで幸せを感じています。

 

ときどき、足が弱いおばあちゃんたちは歩けないんですね。それでおばあちゃんたちは、お寺にある階段に文句を言ったり。「このお寺、階段ばっかしで!」とかね、我々にいろいろなことを言うんだけど、それは親しいから言われるだけで批判ではありません。そういわれれば私も、「階段をなくす方法があればいいなぁ」と真面目に考えたりもします。

 

おばあちゃんたちの修行が終われば、夕方とか次の朝とかに、子供が迎えに来ます。その子供たちが修行しているかと言えば、全然やってないんです。でもその子供たちも、やがて年老いたら同じようになります。息子か娘がお寺に送ってくるんです。

 

「解脱してほしい」というのはお釈迦様の願いだから、私たちがその気持ちでいるのはものすごく立派なんですね。そこら辺の誰かの言葉じゃないんですからね。

 

一日2、3分だけでも十分ですから、ちょっと慈悲の瞑想をしたり、無常を見て感じてみたり、怒らないように粛々と頑張ってみたりとかね。それぞれができる範囲で実行に移せば、必ず到着します。それは問題ないです。

 

全然心配する必要はない。しかし何もしないで、でっかいビルの設計図を描いて引き出しに置いて線香立てていてもね。

一億円のビルを造りたいけど、自分には百万円しかない場合でも、なんとか頑張りますとやってみれば、百万円分はまず造れます。

 

例えば、ガウディのサクラダファミリア。とんでもない設計図を書いちゃって、でも現代まで他の人たちがずーっと造っているでしょう。ということは、やがて、あと百年経ってからでも完成するでしょう。だからガウディの希望は叶ったことになりますよ。

 

だから我々は着々と頑張らなければいけないんですね。

 

関西月例冥想会 2013.01.20 1/1 - YouTube

1:00:00~1:10:00頃までメモしました。

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