質問「今朝、色々な方にお世話になったと急に思い起こされてきて、涙が止まらなくなってしまいました。しかしすでに亡くなっている方々ばかりです。今からどうやって感謝したらよいでしょうか?」
回答(スマナサーラ長老)
私たちは日ごろから感謝する癖をつけた方がいいですね。それですごく生きやすくなります。
あなたは今日突然気づいたんですね。「感謝って大事だ」と。だったら今日から、感謝する癖をつけてください。そして適宜に感謝すればいいでしょう。決まり文句はありません。その都度その都度、適切な表現で感謝すればいいでしょう。
質問者「亡くなった人や会えない人にはどうしたら?」
忘れてください。できないことをなんで悩むんですかね? できないことは、もうできないんです。
それはご自分の課題でもあります。
感謝したくてもできない場合は、放っておく。感謝することができるケースでは、感謝する癖をつけて、感謝して生きていくだけです。
あまり真剣に考えちゃうと、大げさな問題になって煩悩になってしまう。自我がものすごく強くなります。それが危険です。
「亡くなった方々にどう感謝すればいいんだ!」と引っかかっちゃうと、誰かに獲物にされますよ。「こうしたら先祖供養できますよ」とかね。「感謝していないからこれから不幸にされます」とかね。あれやこれやと言われて、インチキな人々の餌食になってしまうんです。
「親に感謝しなかったから(不幸になったんですよ)」と責められても、「その時は分からなかった。できなかったよ」と、それで終わり。
もし今も、感謝しない性格だったら、それはだらしがない性格です。
「わたしはできる範囲の方々に感謝して生きていますよ」と。
感謝できなかったことを感情的に受け取ると、煩悩なんです。仏教的ではありません。ほどほどに。
なぜ「ほどほどに」というかというと、我々が感謝するのは、自分を生かしてくれた人に対してなんですね。ということは存在欲なんですね。結局、原始脳の感情なんですね。だからこれはほどほどにしなくちゃいけません。
結構、答えが単純じゃないんですよ。
お釈迦様も、「感謝する人間は世の中に稀です」と。いわゆる「恩を知る人間」はね。人間と言うのは、恩を忘れたいのですね。我が強くてね。
できるだけ恩は忘れる。誰かが間違ったことをしたらそれだけ覚えておく。恨みは決して忘れません。
恩だったらいとも簡単に忘れちゃうっていうのは、人間の普通の生き方なんですね。だから逆に、恩をよく覚えている人が人格者なんです。恨みはきれいさっぱり忘れるんです、人格者は。
恨みの記憶を思い出しても、「その時は相手もバカだったし私もバカだったし、もういいんじゃないの、そんなことは」とすぐこれを消す。しかし、助けてくれたことや協力してくれたことはずーっと恩を覚えている。これはすごく大事な道徳なんですね。人の恩を忘れないこと。
それが道徳だったら、恨みは忘れることも道徳になります。
日本社会での感謝と言うのは、あまりにも生きることに愛着があって、生きることを讃嘆して出てくる気持ちですから、そこはいくらか訂正した方がいいと思います。
そこで感謝の対象を二つに分けます。
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生きることを助けてくれた人々(親、親戚、友人、家族など)
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人格を向上させるために助けてくれた人々。(存在欲をなくすための協力者)
また悪を応援する人々を避ける。「あなたは今落ち込んでいるから、一緒にパチンコでも行きましょう」とか。「落ち込んでるなら一杯飲みに行きましょう」とか。(お金をすったり、飲みすぎて自己嫌悪に陥ったり余計悩みが増えます)
親は命を助けてくれるんだけど、悪を応援しないんです。
命を助けてくれて悪を応援しない人に対しては、感謝しなくてはいけない。
次に、存在欲を助けてくれても輪廻転生で苦しみ続けてしまう。しかしこの方々はそこまで知らないんです。
自分のお母さんは自分を助けてくれますが、「解脱に達しなさい」と言うところまでは知らないんです。
知らないんだからね。仕方ないです。
母に感謝して、そこから先は自分自身で解脱に達するまで頑張って、そこを応援してくれる人々にも感謝します、と感謝を分析してみる。これが仏教的な態度です。がんばってください。
法話と実践会 2014,11,23 http://www.ustream.tv/recorded/55726413
動画上で40:00~53:00頃よりメモしました。