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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

自然は見事に整理整頓しています。仏教的な生き方は、整理整頓して生きること【不善心所:ローバ 4】

ジャータカ物語から「感動の副作用」を紐解く【不善心所・ローバ 3】より続きます)

確かに麻薬をやったら、苦しみを忘れて幻覚が生まれて、自分が妄想した幻覚の中でいられますよ。しかし理性のある人は、簡単だからと言って麻薬を服用しません。

 

音楽を聴くのが楽しいからと言っても、ものすごく疲れます。

あまりに聞きすぎになると、耳の感動がなくなっちゃって、どんどん耳が遠くなるんです。聴覚の脳細胞が破壊されるんです。

 

では静けさに喜びがあるんですかね?

わたしは飛行機に乗るときに値段が高いヘッドフォンを持っていきます。4万円くらいの、小さいんですけど。それでスイッチを入れて、ヘッドフォンのコンセントは抜いておくんです。で、全く無音状態なんです。ヘッドフォンが周りの音を全部取って、自分の耳に音が届かないようにしてくれるんです。ものすごい気持ちいいです。こんな静かなところは。

 

フライトアテンダントの方が来ても聞こえませんから、その時にヘッドフォンを外すか、スイッチを消すか。まあ、たまには音楽も聞くし、面白い映画だったら見たりもしますけどね。そういうときもヘッドファンを使ってきれいな音を聞きますが、疲れるんですね。無音の場合は、気分がいいんです。

 

しかしみんなにはその気分の良さを味わえないかもしれませんよ、それに慣れてないと。

たとえば、わたしが日本で住んでいる部屋はそういうことで、何もないんです。ただ部屋だけ。いかにカッコいいか。そこでテーブルを入れたり、座布団を入れたり、ソファを入れたりすると、疲れます。制限されます、喜びが。何もない場合は、ものすごくカッコいいんです。

 

そこは長持ちするんです。副作用がないんです。

 

そういうことで、俗世間でいう喜怒哀楽は、不善心所なんです。それは誰にも生まれます。

 

花を見てきれいな花だと思うことは誰でもできます。

しかし植物学的に見て、微妙に、細胞の組み立てまで、遺伝子まで知っている人の楽しみには及びません。

苦労して研究する人も、あれ、楽しいんだからやっていますよ。でも、パチンコで楽しみを感じる人にはわからないでしょう。

 

何週間も家に帰らないで研究所に泊まり込んでものすごくムチャクチャ実験して、研究して。服装もボロボロ、ひげもぼうぼうで、それでも喜びを感じています。だからやっているんです。

朝から晩までパチンコに行く人はね、別にパチンコが楽しくないってわたしは言いたいわけじゃないんですよ。楽しくなかったら誰もやりませんから、楽しいとは思いますよ。しかしわたしは傍を通っただけでも気持ち悪くなるんです。あの電子を通るのが、どれほど細胞に苦しみを与えるかと。

 

だからわれわれは喜びを否定するんじゃなくて、間違っているものは止めなさいと言っているだけです。

 

それから基本的に仏教は、一般人の世界でしゃべっているわけじゃないんです。

人間のレベルでしゃべるならば、いまだに地球は平らでしょ? 丸いところ見たことある? 正直に言ってください。丸いと見たことがある? ないでしょう。陸から見たら平らでしょう。

 

やっぱり人間の目をちょこっと飛び越えてみた人が、丸いと発見したんです。それで宇宙からみたらやっぱり丸かった。

 

だから、仏教は生命の次元を超えた位置から語って、正しいことを言っています。次元を超えてみないと、正しいかどうか分からないんです。

 

たとえば、不良少年たちにとって人生は、本人のレベルから見たら最高です。

友達ができて、つまらない授業サボって、最高。それが悪いと分かるのは大人だけでしょ。

だから、同じ仲間でいると、何が悪いか、何が良いか分からないんです。

次元を超えなくてはいけません。どうしても。

 

仏教はそこを教えているんです。

勉強し始めたら、その人はいやおうなしに、知識レベルが上がっています。わたしが書いている本にしても、皆様の日常の思考は一つも取っていません。皆様の日常の考え方に違ったことを書いています。

その辺は中立的に、大胆に言いたいところはいっぱいあるんだけど、まだ言っていないんです。

 

あとから本が出ますけど、「あべこべ感覚」というタイトルで。もしかすると来週あたり。*1

でも、どんな本を開けてみても、今まで自分が考えたことじゃないことが書いてあると思います。それが役に立つんです。

  

本を手に取って読んだことの価値を、与えているはずなんです。何か新しい思考パターンがある。新しく、別な角度で物事を見られる。だから養老先生がわたしのことを賛成されたのは、先生が「バカの壁」ということを言ったのはそこで終わったでしょう。しかしわたしは「それから」のことを語っているんだよと。そこは先生は分かったんですね、さすがエリートですからね。

 

先生の一生の研究は、われわれの一言で終わっちゃいますよ、と。

 

本当は「そこから」のこと、壁を破ったらその後どう管理するのかと。どこまで進むのか? と言うところですよ。

 

とにかく勉強してみてください。

喜んではならないということでなく、喜びだけなんですよ、われわれが進む衝動は。たとえば、なんでも楽しいならば、やっちゃいます。苦労は気にしない。それはもう、そのように人間の心ができているんです。*2

 

喜び、喜ぶ、という文字だけで見れば、それは必要なんです。

「ご飯食うことがわたしの喜びです」というなら、そのひとはとんでもない馬鹿なんですよ。その人はご飯と言う品物に引っかかっていて、虫みたいですね。ご飯食うことが喜びじゃなくて、喜びが必要なんです。「ご飯食うこと」に限定しないでください。

 

この女と一緒になったら俺は最高の幸せ、と嘘言うなよと。それなら、その女の奴隷でしょう。喜びはもっとたくさんあります。

 

逆にいえば、常に喜びを感じる生き方なんです。

たとえば女の人がニコッと笑ってくれたら楽しくてたまらん、とかね。そんな喜びがあるのにこの坊主は、それを欲だと言うんでしょうかと。そんなこと言っても、ものすごい美人があなたのことを見てニコッと笑ったとしますね、あなたは喜んで感動します。もっと美人が来てぷいっと横を向いたとしますね。結局は、それで「無視されたら気持ち悪い」という感情を引き起こさなければならなくなります。

 

わたしの場合は、子供や赤ちゃんが笑うとあまり警戒はしません。腹の中にないんだから、何も。他の人が笑うと結構警戒するんです(笑) 赤ちゃんが笑っても副作用はないんです。

 

そういうことで、喜びということが必要なんです。

だからわれわれには、何やっても喜びを感じるようにと心を育てなくちゃいけない。だからって、何やってもいいわけじゃないんです。やることを選びなさいよと。役に立つこと、自分のためになること、周りの友達のためになることをやる。それが喜びを感じてやるということ。

 

住んでいるところの公園をきれいにしようというときに、嫌がって参加したら不幸でしょう。

 

だからこういう結論です。

まず、何をやるべきかと決める。無数にありますからね、やることは。

決めるときは、しっかりと役に立つことだけに決めて、役に立たないことは、たとえ誘惑される面白いことであっても捨てる。毎月誰かの演奏会に行くことに決めています、というのは役に立たないことだから捨てる。

 

自分と周りの役に立つことは、こういうことだと決める。決めたのはいいんだけど、やりたくないことばっかりだったらやれないでしょう。そこで、何をやっても喜びを感じるという技を身に着ける。それが成功する方法です。

 

義理で義務で、なにもやらない。楽しいからやる。

 

命令で、何ひとつもやらないことです。

命令されなくても、やらなければならないことはやる。

命令はいりませんね。

 

問題は人間が、楽しくやるということを分からないんです。「金くれる?」と聞くんです。金くれるならやりますと。あれって楽しくないんです。金目当てだから。なぜかというと、仕事は苦しい。金をもらう瞬間だけ楽しいんです。ニンジンですね。

 

わたしが言うのは、わたしの前にニンジンをぶら下げて歩けと言うなら、ニンジンを見ようともしないで歩くんです。しかしニンジンをぶら下げて、わたしに歩けと命令した人が、「こいつはニンジンにつられて歩いている」と勘違いします。それで最後に、教えてあげるんです。歩き終わって、その人がニンジンをくれたら、わたしはそれをけっ飛ばします。

 

そういうことは、わたしは結構やっています。わたしは仕事を楽しくやりたい。皆さんもなんでも楽しくやる技を身に着けたほうがいい。それからやることを選びます。

 

感情で喜怒哀楽で生きると思ったら、これは勘違いです。計画的に整理整頓して、物事はやるんです。自然とはそういう物です。自然はすべてびっしりと整理整頓されています。

荷物の整理整頓は、日本人が結構上手ですよ。見事にやっています。小さな部屋で、トラック10台分くらい品物を入れて、必要な時にちゃんと取れるようにと。

 

アメリカ人の冷蔵庫は結構巨大です。日本人の家にはそんな巨大な冷蔵庫は入らない。しかし品物を見るとだいたい同じ量が入っています。そういう詰め込み方とか上手ですけど、自然はもっと上手です。人間の体の中をみてください。大量の部品が、びっしりと詰まっているでしょ。隙間がないんです。

 

内臓は、隙間がなく、よくもしっかりと機能しています。狭苦しいや、ということなくちゃんと動いています。自然と言うのはそういうふうに見事に整理整頓しています。われわれも自然の一部です。心の流れも自然の一部なんです。だから、変な妄想で自然を壊すんじゃなくて、仏教的な生き方は、整理整頓して生きると、うまく行きます。

 

だから、なんでも考えるんじゃなくて、選ぶ。

なんでもやるんじゃなくて、選ぶ。

なんでもしゃべるんじゃなくて、選ぶ。

 

その智慧には落ち着きが必要なんです。

 

赤ちゃんを見て感動する人は、赤ちゃんが素晴らしいとおもって勉強できません。集中できない。

わたしは子供たちと遊びながら、自分の仕事をしっかりやります。この子供たちは何をやっているのかとしっかり計算して、口を挟むときはちゃんと口を挟んで、サッと自分の研究に戻る。その繰り返し。子供たちはずっと遊んでくれていると思っています。

 

感動する人にはそれができないんです。

 

昨日、新幹線に乗ろうと、大人二人と子供一人で駅のホームに行きました。子供は自分で車両を探して子供なりに責任感をもって先頭でどんどん歩いていくんです。わたしは自分たちの車両を見つけて、そこで止まりました。子供は気づかずに歩いていく。しかし子供だから、大人の方を振り返るんです。振り返ったらわたしたちが止まっている。すると何のことなく戻ってきます。それにもわたしは一言も言わないでじっと待っているんです。 

「あんたなんでそんなところに行ったの。この車両でしょう」とか言ったら失礼でしょう、子供に。

 

だからあんまり下らんことに感動しちゃうとね、うまくいかなくなっちゃうんです。

 

 そういうことで、しゃべるときも、決めたことをしゃべって、行動するときも決めたことを行動して、考えるときでも、何でもかんでも考えるんじゃなくて、整理整頓して考える。

必要があるものだけ考えて、しっかりと締まった人生に。

引き締まってきます、もう。問題はなく。

 

その人はかなり楽しく生きるんです。それでしょ、感動って。

(おわり)

 

(関西定例瞑想 2008.04.20

http://www.voiceblog.jp/najiorepo/560930.html 音声ファイル:真ん中⇒上よりメモしました

 

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【目次】説法めも

*1:

 

あべこべ感覚―役立つ初期仏教法話7 (サンガ新書)

あべこべ感覚―役立つ初期仏教法話7 (サンガ新書)

 

 

*2:

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