妄想をやめた時どうなるのか?
たとえば、お釈迦様の言葉はすべて、妄想がなくなった時の言葉なんですね。だから、誰にも否定できない、しっかりとした真理なんです。
妄想とは何か?
・結論に達しない思考の流れ
・結論がないからどこまでも思考のループになる
・問題は、妄想氏も時間がかかる
・だから人生の大半が無駄になる
(80年間生きていたらすごいか? 60年間分妄想していたら実質20年しか生きていないことになる)
・具体的で、役に立ち、結論がある思考は妄想ではない
妄想を発見すること
・簡単ではない
・常識的な人間には努力すれば妄想を発見できる
(常識的な人間=シンプルライフで現実的に淡々と生活する人)
・妄想を発見するチェックポイント
(1)この考えは役に立つか?
(2)結論がある思考か?
(3)日常生活に邪魔か?
(4)感情を掻き回すか?または鎮めるか?
なぜ妄想するのか?
われわれは現実から逃げたいんです。現実を見たくない。これは脳のプログラムですよ。たとえば、わたしは死にませんという、わたしは若いという設定で生きている。そういうふうにわたしたちの脳が、自我を肯定するために現実を見たくない。
時間と環境によって、自分(自己・Self)は変わります。
だから「自分」という存在は成り立たない。
無明と存在欲がある生命に処理・理解できない事実です。
存在欲は、決して満たせない欲。死と言う現実vs存在欲と言う対立が起こる。
心は魔術師です
無いものをあるもののように、あるものはないもののように認識させて、こころは詐欺をやっています。
心は自分をだます。他人をだます。「自分は死ぬわけはない。自分は正しい」など。
われわれの認識は決して信頼できません。
(ここから後半です)
妄想をなくすことはとても難しい。
なぜなら、現在の脳にその配線がない。でも、つくればいい。訓練すればいい。
お釈迦様がおっしゃった方法は、データを如実に見る。そのまま見る。思考しない。
では、最終的に、妄想をやめたら実際にどうなるのでしょうか?
「妄想をやめたとき」
- 思考妄想で失敗ばかりする人生ではなくなります。
- 常に正解が見えてきます。
- 他人のことを気にしたり、他をまねたり、優柔不断の気持ちでいることはなくなります。
- 脳の中で、データをねつ造する配線が理性的になります。(ゴキブリは汚い? ケーキはおいしいに決まっている?)
- 世間の立場と、真理の立場を明確に区別します。
- 妄想をやめたからと言って、世間と合わなくなるわけではない。(欲がなくなったから仕事をやめました、ということにはならない)
- 正しく認識したりするので、自分だけではなく、周りの人々も助かります。
- 困っている、わからない、どうしよう、心配、と言う気持ちから解放される。
- 悪感情のエネルギーは他を哀れむエネルギーに変わります。
- 体も心も落ち着きます。
- 妄想をやめた人には、やるべきこと・やらなくてはいけないことなどは一切ない。(たとえば、試験が終わった時の気持ちがずっと続く)
- 余った時間で退屈を感じない。
- 安らぎの気持ちが現れるので、精神的に安穏な気持ちでいられます。
そして、
「預流果に達したならば……」
- 世にある様々な意見、見解、信仰、生き方などに戸惑うことがなくなる
- いかなる見解にもとらわれないことになります
- ブッダの説かれた真理と世間が言う見解の区別ができる
- 信仰する性格が消え、確信が生じます
- 邪見が一切消えます
- 鋭い思考能力が生まれる
- 思考しないでいることもできる
(おわり)
以下の講演会動画より、メモしたことをまとめました。
※期間限定公開 ◎前半 http://www.ustream.tv/recorded/79383309 …
◎後半 http://www.ustream.tv/recorded/79387130 …