ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

「戦争は女の顔をしていない」スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ、三浦みどり訳

「戦争は女の顔をしていない」を読んだ。

著者アレクシエーヴィチ氏は去年2015年にノーベル文学賞を受賞している。

  

戦争は女の顔をしていない (岩波現代文庫)

戦争は女の顔をしていない (岩波現代文庫)

 

 

第二次世界大戦で、ソ連の百万人を超える女性が、看護婦や軍医、兵士としても武器を手にして戦ったという。しかし戦後は世相が一変して、従軍経験を隠して人生を送らなければならなかったそうだ。その五百人以上の従軍女性から聞き取りを行い、美化することが到底できない戦争の事実が明らかになっている。

 

文庫版で五百ページ近いこの本をレビューすることは、わたしにはほとんど不可能だ。

ただ厚いだけではなく、一人ひとり名前を持つ女性の人生が、戦闘現場という極限状態において濃縮されているのだ。

自分の処理能力範囲を超えている。

 

それなのになぜ、この本について何か文章を書こうかと思ったのかというと、

それは、読み終えたまま沈黙すべきではないような気が、なんとなくしたから。

 

そして結局のところ、作者はそのために、沈黙を打ち破る(打ち破らせる)ために、この本を書いたのだろうなと思う。

 

だから、気の利いたレビューや的確な感想を述べることはできないけれど、本の中で特にポストイットを貼らずにいられなかった箇所だけ、ただ抜き出して並べてみることにする。

 

ワレンチーナ・バーヴロヴナ・チュダーエワ 軍曹(高射砲指揮官)

「もちろんもっと子供がほしかった、子供が好きなの。でも私には娘が一人いるだけ……娘が……健康が許さなかった。もう力がなかったの。勉強もできなかった、よく病気になったから。わたしの両足が、何もかもこの両足のせいよ……これがいうことをきかなくて……工科大学の実験助手をして年金がもらえるまで働いたんだよ。

みんなが好いてくれた。先生方も学生たちも。なぜって、わたしの中にみんなを好きになりたいって気持ちが、喜びがたまっていたからね。

生きているってそういういうことだと思ったんだよ、戦争のあとはそれ以外ないって思ってた。」p185

 

第五二五七野戦病院メンバーの集まり

「みんな死ぬのをいやがりました。わたしたちは呻き声、叫び声の一つ一つに答えました。(略)人間は死んで行きながらも、やはり自分が死ぬということが信じられないんです、自分が死ぬって思わない。」p199

 

「重傷の患者の病室の異常な静けさ。一番重傷の人たち……そういう人たちは互いに話をしないの。誰も呼びつけないし。多くは意識がない。たいては横になったまま、黙っている。考えている。どこかあらぬ方を眺めて考えている。呼びかけても、聞こえていません。

 何を考えていたんだろう?」p205

 

「空襲の中で山羊が一頭やって来て、そばに横たわるんです。(略)人に体を押し付けてきます。動物だって怖いんです。

村に入った時、女の人に頼みました。『可哀想なの、飼ってちょうだい』救ってやりたかった……」p207

 

タマーラ・ステパノヴナ・ウムニャギナ 赤軍伍長(衛生指導員)

「戦争中どんなことに憧れていたか分かるかい? あたしたち、夢見ていた、『戦争が終わるまで生き延びられたら、戦争の後の人々はどんなに幸せな人たちだろう! どんなにすばらしい生活が始まるんだろう。

こんなにつらい思いをした人たちはお互いをいたわりあう。それはもう違う人たちになるんだね』ってね。

そのことを疑わなかった。これっぽっちも。

 ところが、どうよ……え? またまた、殺し合っている。一番理解できないことよ……いったいこれはどういうことなんだろう? え? わたしたちってのは……」p481

 

「ねえ、あんた、一つは憎しみのための心、もう一つは愛情のための心ってことはありえないんだよ。人間には心が一つしかない、自分の心をどうやって救うかっていつもそのことを考えてきたよ。」p482

 

 

 

番外編

工兵大隊長

「わたしのところに二人の女の子がやって来て、工兵小隊長だっていう。(略)追い返した理由はたくさんある。(略)第二に女性が前線に出る必要なんてまったくない。あの地獄に。男で足りていた。それに女性のためには別個の塹壕を作らなければならない。守ってやらねばならないし、そのほかいろいろ女の子の面倒を見てやらにゃあならない。面倒が多すぎる。」p133

 

これって何かとダブりませんか?*1 とちょっと思ったので番外編としました。

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