(ブッダに有って、大乗経典に無いものとは?【日本のお寺 4】より続きます)
偉大なる徳の完成した人の母親が、出産後7日で亡くなったとは、当時仏教の本を書く人には、お釈迦様がちょっとかわいそうだと思ったでしょうね。お釈迦様はそう思っていなかったんですけど。母の顔を知らないし、お釈迦様にとってはパジャパティ・ゴータミーというおばちゃんが自分の母なんです。おっぱいくれたのはその人だから。本人は全然心配してないんだけど、のちにエピソードを書く人にとってこれはちょっと心配だったんでしょうね。
母の偉大性について、仏教はちゃんと守っています。女性を差別というのはまるっきりないんです。
「女ってバカだ、言うこと聞かないんだ」とは言っていますよ、ほんとのことだから(笑) 料理しか興味がない、とか。家庭を守っているお母さんには「晩御飯、何を作ろうかな」ということしか興味がないと言えば興味がないんです。自分がそのお母さんのご飯を食べているくせに、そういうことをちょこちょこっとからかったりはします。
えらい真剣に、ジャガイモの茹で具合や大根の硬さのことを気にしていて、他に考えることはないのかと(笑) 逆にいえばね、人々の命のことをいかにちゃんと考えているのかと言う尊い気持ちですよ。
「お前たちがふざけていても、命を守ってあげているのは母の仕事だよ」というありがたい精神ですよ。しかし逆に、元気でご飯食べている人から見ると心配でしょうがないんですね。「そればっかしやって困る。もうちょっと自分の人生を考えなさいよ」という意味で、仏教も結構、女性を馬鹿にした文章もあります。
「女と言えば、頭の中で旦那のことと子供のことしかないんだから」と、それってけなされているようで事実でもありますけど、もっと「考えなさい」という意味でもあります。「もっと自由になりなさいよ」と。
お釈迦様の母親が出家したがったところで、お釈迦様は断る。「ダメ、女にできない」と追い出すんですね。
だからそれが女性差別と受け取られてしまうが、中の意味はそうじゃないんです。「そんなややこしいことをしなくても大丈夫だ。出家生活と言うのはとてつもない難しいことで、不自然です。だからあなたがたそれをやらなくていいんです。悟れますよ、家で」と。
女性には苦労させないで、家で、やっぱり女性には屋根がほしいんだよと。寝るためにはベッドがほしいんです。これをお釈迦様は女性から奪いたくなかったんです。
家から家へ乞食させたくなかったんです。自分の母親が出家したら、他のお坊さんたちと同じく、鉢を持ってご飯いただくために家から家へ行かなくちゃあかんでしょ。これはさせたくなかったんです。
家に財産があるんだからね。召使がいるんだから、ご飯作ってもらって、それで瞑想でもすれば、という気持ちでしたから。
父親の王は出家しなかったでしょう。させなかったんです。とにかく家にいるようにしておいて、父親は、息子たちが出ていったし、家のことをしなくちゃいけないんだからと思って、愛情をもって家を守っていて、お釈迦様はちゃんと訪ねて行って説法をしてあげて、亡くなるときも説法して、ちゃんと阿羅漢果に達して亡くなるようにしてあげました。しかし、苦労させなかったんです。
お釈迦様は、自分の親戚の若者には強引に出家させましたが。
お釈迦様はすごく人間的でした。若者には出家しなさいといいながら、父親にはさせないという。母親の出家も断固として反対しました。そこが(正直で、人間的で)すごいでしょう。だからお釈迦様が尊敬に値するんです。インチキが何もないんです。
それでもアーナンダ尊者の話に負けるでしょう。
「お釈迦様はどうしてお母様の出家を認めないのですか?」
「あなた何考えているのか。女の人に一人で生活ができますか、森の中で。誰が守るんですか? 危険極まりないでしょう」
「そうですか。しかし、もし女性が出家して、まじめに瞑想するのならば、悟れないのですか?」
「悟れますよ。男女関係なく」
「ということは、出家を認めないことは、女性に悟りの道を閉ざすことですね」
そういうわけで、お釈迦様は負けちゃったんです。
女性が、戒律を八項目追加して守るならばと、女性の出家を認めました。
そこでアーナンダ尊者が、パジャパティ・ゴータミー妃のところへ行って、「お釈迦様が、八項目の戒律を増やして守るなら、出家を認めますとおっしゃいました」
妃は、「しっかり守ります」
この瞬間で出家成立です。
それをアーナンダ尊者がお釈迦様に伝えました。お釈迦様の反応は、
「あ、しまった」と(笑)
かわいいでしょう、その言葉さえも。
負けたんだからね、お釈迦様は、本当に明確に。
「あ、しまった。これで仏教の寿命は半分になっちゃった」
わたしはそこがすごくかわいいと思いますよ。
それからややこしくて、ややこしくて。
だってすごく厳しい道徳の世界でしょう。同時に平等でなければいけないでしょう。だからといって男と女を一緒に入れちゃうと、これまた困るわ、困るわ。
それでいやらしい出来事が一つも起こらないようにと、どれほどお釈迦様が苦労しなくちゃいけなかったのかというと。
二回くらいそういうケースがありました。出家した女性が犯されたという。とんでもない連中に。
そこでお釈迦様が、尼さんを犯すことは五逆罪よりも厳しく設定したんです。どう考えても、尼さんには守る人は誰もいない。
どんな罪も、仏教は懺悔すれば「まあ明日から頑張りなさい」というけれど、尼さんを犯すことは全くアウト。これは出家した女性を守るためなんですよ。
それでものちに、尼さんの伝統は跡形もなく消えてしまいました。
仏教はそういうふうに、一見男性が権力を握っているようで、実際は男女平等です。お互いの仕事配分をごっちゃにしないで仲良くやりましょう、と言う世界なんです。*1
だから、女性は女性ですごく強いし、男性はちゃんと出家して仏教を守れと言われたり。お母さんたちも自分が出家できなくても、息子一人でも作って出家させちゃえば自分の責任を果たした、と言うことにしているんですね。
自分が、もう仏教に対して仕事を果たしました。男の子を生んで、出家させて、まじめに修行させているんだと。だから出家しても、母親は怖いんですよ。母親が怒っちゃうとどうにもならん。
そういうことで、逆に(母に)甘えて還俗する人々も結構いますけどね。
そういうわけで、世界の宗教と仏教の世界は正反対です。
似ているところはありません。
(日本のお寺は世界遺産。誰でも守る義務があります【日本のお寺 6】 に続きます)
(関西定例瞑想会 2008.05.11 スマナサーラ長老説法
http://www.voiceblog.jp/sandarepo/577302.html 音声ファイル:下から4番目よりメモしました)
関連エントリ:
すべての「説法めも」を読むには:
*1:
【33】 仏教の中の女性差別 その3 より引用
http://www.j-theravada.net/qa/gimon30-33.html
「現代日本に生まれた女性にとって、という言葉をもう一度考えていただきたいのです。
結婚したら仕事を辞めなくてはならない。子供ができたら社会活動を何一つできない。それでストレスがたまって幼児虐待をする女性も、近年少なくありません。
女性は総理になるどころか、政治活動においてほとんど力がない。政治の場では、男たちに対して怒りをぶつけ、ヒステリックに批判や悪口を言うばかりで、実行力のある行動を起こした女性はほとんどいない。
悪く言えば日本では、淫らな行為をすること、欲におぼれた生活をすること、贅沢をすることだけに女性の自由があります。
平等に活動をすることは不可能に近いのではないでしょうか。贅沢ボケで、自分の権利を獲得する方法もわからないように見えます。……」