ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

慈悲の冥想以外に「恩返し」の方法はありますか?(前編)

質問

長老が書かれたものの中で『生きていくことは色々な生き物に迷惑をかける』という文章を読みました。

たとえば食事で、自分のために死んでくれたもののおかげで、自分が生きているという面があると思うんですけれども、そういうことに関する恩返しというか、慈悲の冥想をしていますが、それ以外にやり方がありましたら教えていただきたいと思います」

 

 

回答(スマナサーラ長老)

 

輪廻そのもの、命そのものは矛盾なんです。

矛盾そのもので組み立てられているんです。だから面倒くさいんです。

 

たとえば、優しくなければ生きていられない。環境に、他の生命に、仲間に。しかし、優しくしちゃうと、何も食べることができなくなっちゃうんです。

一方で、残酷に生きている人々は、なんか成功しているようにも見える。

成功しているんだけど、これが人間かい、鬼かい? とわからないでしょう。でも本人が自分の鬼の性格で壊れていく。家族がバラバラになったり、裁判にかけられたり、逮捕されたり、いろいろ。

 

だからどうしても、存在という組織が、システムが、矛盾で成り立っている。

これは物質でもそうでしょう。たとえば薬がありますね。ありがたいですね、病気が治るから。でも有り難くない面もあります。病気に攻撃してくれますけど、体中に薬の成分が入ってしまって、身体が壊れちゃうんですね。だからどうしますかね。どんな薬もおんなじなんです。副作用が必ずあるんですね。

 

それは薬だけじゃないんですよ。米などなどにも、副作用があるんです。

だから完全に良いというものは何一つない。完全に悪いというものも何一つもない。何かしら助けてくれたりもする。また何かしら迷惑もかける。

 

そちらのバランスですかねぇ。

バランスがないんですからね。結局は存在は弱肉強食の世界なんですね。

 

それで、せいぜいできることは、慈しみの気持ちで生きること。

慈しみの気持ちで生きる場合は、野菜とか肉魚を食べても、そちらの副作用があまり体に入らないということがあるんですね。

 

それで、自分には生きる価値があるのかいと。

生きる価値があるならば、やられる側が「仕方がない」と納得いくんですね。そこで、生きる価値がどうやって成り立つのか。

 

生きる価値がふつうはないんですよ、まず。

たとえば、蛇がカエルを飲み込む場合は蛇に生きる価値があるならば、カエルが生きる権利がなくなっちゃうんですね。カエルに生きる権利があると思ったら、蛇はカエルを食べてはいけませんね。それじゃあ、断言的に蛇さんにね、「おまえはカエルを食うな。カエルには生きる権利があるんだよ」

蛇が、「はい、わかりました」とカエルを飲まないでおく。

 

カエルは虫を食べているんです。カエルが「俺に生きる権利があるんだから昆虫たちを食べまくるぞ」というのは成り立ちますか? 

 

そういうことで、俗世間では誰にだって生きる価値はないんです。

ただ生きているだけ。目的も何もないんです。存在欲があるんだから生きている。生きている理由はあるんです。なんで理由があるのかというと、生きていきたいからです。価値があるからじゃないんですね。

 

生きていきたいから。

それは残酷なことをしなくちゃ成り立たないんです。

 

それで答えは、生きていきたいという存在欲をスタディして、それを取り除くんです。

そうすると、存在欲を理解してやる、発見してやる、研究してやる、と思う人には、生きる価値が成り立っているんです。

 

なぜならば、他の生命からみれば、「この人は存在欲が何かと研究して、自分で存在欲を取り除こうとしている。存在欲を取り除いたらこの人は一切生命に迷惑をかけない人間になる。ちょっと応援してあげましょう」ということになるんです。

 

それでやっと、食べる権利が成り立つんですね。

結構大変ですよ。楽じゃない。どこかの宗教で教えているような、「この数珠を三回まわせば煩悩がなくなるよ」ということではない。

生命の真理はそんなもんじゃないんです。

 

だから、「こういう簡単な方法がありますからやってください」と言いたいけれど、ないんですね。

 

(わたしたちがやっていることは基本的に)

  1. 道徳を守る

そうすると、かなり悪行為が減るんですね。道徳を守っているからと言って、ご飯を食べなくてはあかんだからね。

  2.慈悲の冥想をする

そうすると自分のスタンスは、生命に迷惑をかけたくないということです。

 

結構、自分が与えるダメージがジリジリと少なくなる。

それから、自己観察をして、ヴィパッサナー観察で、悪のない人生になります。実況中継ですよ。できるだけ実況中継をして、存在欲は何ぞやと、それが頭の中にあると、固定概念になっちゃってわからなくなっちゃうんです。それを措いておいて、日常の自分の体の感覚を観察していくと、勝手に「あっ!」というふうに存在欲が見えてくるんです。

存在欲が全部やらせているんだと。

 

その人が、こころが清らかになっていくんだから、罪のない人間になるんです。

 

だから質問の中身をみると、「生きていきたいが、できるだけ生命に優しくしたい」ということですが、その両方は成り立たないんですね。

 

元気で生きていきたいんだけど、悪いことはしたくないよ、という俗世間的には良いように見えますけど、存在欲がある限りは、そんなに美しく生きていられないんです。

(後編に続きます)

スマナサーラ長老・東京法話と実践会 2016.06.12

http://www.ustream.tv/recorded/88196045 (期間限定公開動画)を聞いて書きました。

つるの おんがえし (いわさきちひろの絵本)

 

関連エントリ:

冥想に成功するポイント(3)存在欲を放っておく

そうやって存在欲を諦めたら、いきなりこころが喜びを感じだすんです。

存在欲が、今までこころが喜びを感じられないように覆っていて、怯えを作るんですね。ですから、幸福は、こころが作るんですから、純粋で、比較にならない、巨大な幸福や楽しみを感じたければ、冥想の世界で成功するしかないんです。他に方法は存在しません。

 

 

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