(前回 『慈悲の冥想』の講習(2)生きとし生けるもの )
しかし、人間っていうのはものすごくわがままだから、失敗するんです。
それで、自分が本物かどうか確かめなくちゃいけない。自分が本気になって自我を捨てて、一切の生命を慈しむ立派な人間か、あるいは偽善者なのか、自分で確かめなくちゃいけないんです。偽善だったら効き目がない。本物だったらものすごい。奇跡的な効き目があります。
なんのことなく慈悲には奇跡が起こせます。慈悲が本物なら。
それで、偽善は困りますから、偽善になることをこれから解決します。
その方法は、わたしの嫌いな人も幸せでありますように、と念じます。
それから、わたしを嫌っている人も幸せでありますように、と念じます。
そのとき、偽善かどうかとわかります。
「なんで嫌いな人のことまで……」と思ったら慈悲がない。まだまだ未熟です。間違ったわけじゃない。正直でいいんだけど、未熟ですね、やっぱり。
そこで、とにかく繰り返してやってみる。
やがて、まあいいや、別に、ということになるんです。当たり前でしょう、生命だから、と。
ゴキブリのことを勝手に嫌いと思っても、可哀想でしょう、ゴキブリは。
ゴキブリも幸福でいてほしい、とそれが当たり前になってくる。
それで一応偽善は消えています。慈悲の気持ちが完成しているんです。
そういうことで、これは自分を試すところです。
やってみましょう。
わたしの嫌いな生命も幸せでありますように
わたしの嫌いな生命の悩み苦しみがなくなりますように
わたしの嫌いな生命の願いごとが叶えられますように
わたしの嫌いな生命にも覚りの光があらわれますように
わたしを嫌っている生命も幸せでありますように
わたしを嫌っている生命の悩み苦しみがなくなりますように
わたしを嫌っている生命の願いことが叶えられますように
わたしを嫌っている生命にも覚りの光があらわれますように
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)
これが慈悲の冥想で、これこそこの世界にある唯一すぐれている「呪文」なんです。
呪文よりも力があります。
すごい力があります。
頑張ってみてください。
頭の中でしっかり覚えて、常に、自分と一緒にしてください。
自分が不幸になる思考、「なんであの人はこんなことをやるんでしょうか」「なんでこんなことを言うんでしょうか」という思考は全部壊しちゃって、慈悲の思考で埋め尽くしておいてください。神様のように生きられます。この世の中で。
自我がなくなるんだから、すごく謙虚になります。
出しゃばったり、みんなに迷惑をかけたり、それもなくなります。
うるさくなったり、おせっかいになったり、それも消えます。
これを実践した人はみんな、ちゃんと結果を出しています。真剣にやった方々は。
真剣にやっていない方々は、素晴らしくそのまんまで(笑)。
だから、信じる前に試してください。本当かどうか。
試す気持ちは、仏教ではオーケーです。本当かな、じゃあ試してやるぞと。
試してみると、結果が見えてきます。
それから、ブッダの教えを学んでいくのです。
そのあとは素直に、お釈迦様の言う通りにやる。
ということで、これは最大の「呪文」です。
自分のお守りになる、家族のお守りになる、会社のお守りになる。
ものすごいお守りになります。幸福になります。しっかりします。
お釈迦様は、世の中の問題にはたった一行で答えられますよ、と仰っています。
政治問題、経済問題、戦争、国際問題、家族の問題、学校の問題、ぜんぶ人間関係の問題だからね。
お互いに憎しみ合っているだけでしょう。わがままで。だったら、一言だけ答えがあります。「生きとし生けるものが幸せでありますように」
どんな生命にも生きる権利がある。それを奪うなよ、守ってあげましょう。すべての生命の生きる権利を守ってあげましょう。そうすると、わたしの権利も守られます。それで問題が消えます。
そういうわけで、慈悲の冥想を終了します。
頑張ってください。
(終わり)
《スマナサーラ長老『慈悲の瞑想』の講習https://www.youtube.com/watch?v=HRysI_uwTkU
説法めもより》
最初から読む:『慈悲の冥想』の講習(1)わたしとわたしの親しい生命