ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

スマナサーラ長老が日本に来たワケ - 執着(3)

 前回

感情で生きている日本人 - 執着(2)

 

話を元に戻します。

わたしは基本的には日本に行きたくなかったし、その計画もなかった。でも、条件が揃っちゃって飛ばされたんです。

 

わたしにもいくつか選択肢があって、時間的な順番で言えば、日本に来るのが一番先で、アメリカに行く予定があったんだけど、それは一年くらい遅くなるんですね。

ドイツにも行く計画があったんだけど、それは三年くらいかかっちゃうんですね、条件がそろうのに。博士をサクサクと取ってくださいと言っていたんですね。博士を取った途端、一週間以内であなたを連れて行きますよと。だからそれは、わたしにとっては別に、半年か一年あれば書けますけどね。だからわたしが考えたのは、日本に来るには二週間で決めなくちゃいけない。あちらは一年で、こちらは三年で。それでまあ、先のほうに決めちゃった。

 

それでどうなったかというと、あれはやっぱり、もう終わったことで、日本に来てよかったとそれから思うことで。よかったのかどうか、いまだにわからないんです(笑)。

 

そういうことなんです。

こういうことになっちゃんだから、この道で頑張っちゃうぞと。

「日本に飛ばされて失敗しました。なんてわたしは不幸な人間か」ということはないんです。出た結果をしっかりやる。

 

あなたにしても同じことですよ。

色々希望があったかもしれませんけど、うまくいったのはこれだったら、そちらにもう、やってやる、という感じなんです。じゃあやってやろう、と。「あなた、それをやりたくて計画していたの?」「イエ、全然! ただ自然の流れで飛ばされただけで」

だったら、やってやる、と。

 

いろんな種が空気で流されるでしょう。

その種が、自分にいいところで成長したいなと思っている? どうでもいい、流されたところで根をはると、それだけ。いったん根をはったらしっかりと成長して、花を咲かさなきゃあかん。それが人生なんです。

 

だから別にポジティブな必要はない。

逆に、「うまくいくわけがない、この世の中で」と。だって将来はわからないでしょう。うまくいくわけがないんだから、といっても、行動しなくちゃいけない。

  

だいたいうまくいくかいかないかは、わたしの活動次第だと思うことが正しい思考です。ネガティブ・ポジティブは良くないんです。 ネガティブ・ポジティブ思考はわがままなんです。

 

ネガティブ思考は怒りであらわれる妄想。ポジティブ思考は欲と自我であらわれる妄想です。妄想は結果を出しません。

 

世間は流れる。そんなものには、ネガティブもポジティブもないんです。

自然災害はネガティブ? ネガティブでもポジティブでもないんです。自然な流れなんです。

ものごとの流れなんです。

あなたがどう対応するのかというところで、あなたの点数が上がります。

 

ですから、ネガティブ・ポジティブじゃなくて、ありのままに、客観的に見る。

そういうことで、頑張ってみてください。

 

将来はわからないんだから、これからもあなたにいろんな悩みが出てくる。いろんなものに執着してしまったりもする。それはまあ別に、気にしないだけです。わかっているならば、そこから先に行かないでしょう。

 

歳を取ってくると、選択が消えて、消えて、消えていくんですね。いわゆるわれわれの年になってくると、アクセスできるものが消えて行って、ほんのわずかしかない。あなたがたにとっては、アクセスできる世界は広いんですね。だから悩み具合も結構多いんですね。

 

われわれはありがたくはないんです。諦めるべきものは、諦めたくなくても諦めなければいけない。大量に出てきちゃって、せいぜい選択できるものの幅が狭くなっているんです。

 

たとえば誰かがわたしに、「富士山に登りましょうか、今度の夏に」と言うと、わたしは、「うーん、登ったことはないんだけど……、やめます!」と。なぜかというと、身体が弱くて、あんな筋肉苦労はできないんですね。

 

でもあなたの友達が、あなたに登りましょう! と誘えば、体力的に行けなくはないんだけど、日にちの都合がつかないとか、別の悩みがあるんですね。

 

山登りの準備は、いろいろ道具とかそろえたり、これ超面白いしね。わたしにとっては、身体も足も弱いということで、山登りという選択肢はカットされているんですね。歳の問題と言えば歳の問題なんですね。選択肢がたくさんあり過ぎ、または少な過ぎ、ということです。

 

選択肢がたくさんあっても、一つしか選べない。将来わからないんだから選べない。そこで、飛ばされたところで根づくということになるんです。

 

昔もそうでしょうし、今も、将来もそういうことなんです。

 

ときどきSF的な映画なんかで人工的な社会を描いているでしょう。

たとえば、子供たちを人工的に作る。体力抜群な子供、研究の分野でものすごく頭の言い子供、各分野に専門家として超人になるように人間を作るとかね。

 

そうやってはめられた人間というのは、超おもしろくないでしょうね。自分が歌いたんだけど、歌手になりたいんだけど、スポーツマンとして作られた人間なんですね。だからいやおうなしにスポーツをしなくちゃいけないとか。そういうのはSFの世界には妄想できますけど、現実にはないんですね。

 

だから、あれもできて、これもやればできそう、という状態になるんです。

 

とにかく、ポジティブにならなくてもいい、ということで考えてください。

わざわざポジティブになる必要もないし、ネガティブになる必要もないし、やってみる。それだけ。やってみたら、うまくいくこともあるし、うまくいかなかったら別なことをやってみる。

 

鳥たちもそうでしょう。コツコツと地面でエサを探しても、ない。それで別なところを探すんです。

悩まないんです。

(おわり)

The Ecology of Seeds

スマナサーラ長老・東京法話と実践会 2016.06.12

http://www.ustream.tv/recorded/88196045 (期間限定公開動画)を聞いて書きました。

 

関連エントリ:

スマナサーラ長老『いつでも失敗から学ぶ ~成功ばかり期待しても、それは幻~』2015.09.12

大学で仕事していた時、わがままな同僚がいた。ほとんど仕事をしない。

その同僚が、留学したいと国へ願書を出した。わたしも出さなければいけなかった。同じ分野だった。

日本への出願。その同僚が出して、わたしは出さなかった。その同僚は落選した。

次の年、同僚は年齢制限でもう出願できなかった。そこでわたしが出願して、合格して日本へ来た。