<前回 「わたしのもの」とはどんなもの - ウェーサーカ祭2007(2)>
そういうわけで、幸福は何なのかとお釈迦様が教えたんです。
この世の中で、人間が幸福だと思うものがありますよ、と。
それをカーマスカ(kāmasukha)というんですね。「欲から得られる快楽」。
その場合でもお釈迦様は正しい単語を使っているんです。
世間では財産が幸福だと思っています。
財産は幸福ではないんです。お釈迦様が言うのは、「五欲」という単語なんですよ。ネックレスをつけたと言っても、それに幸福はないんですよ。金属を首にかけて幸福なら、猫や犬にチェーンをかけたっても同じことですよ。それなのに、自分が妄想して喜ぶんですよ。「これは十八金だ。二十グラムだよ。四十万円だ」と。
そうやってこころで喜びを感じる。
物を見たら、目で刺激を感じるんです。耳で刺激を感じるんです。舌で刺激を感じるんです。
そちらなんですよ、楽しみがあるのは。外じゃなんです。
だから、あるものを観て、われわれは楽しみを感じることもできるし、嫌な気分になることもできます。
絵画を観て、素晴らしく感動することもできるし、「なんかおもしろくない」と思うこともできます。「おもしろくない」と思った絵画を買って飾っても、幸せに感じない。自分が感動する絵画を買ったら、「わたしは贅沢者だ。結構幸せだ」と思っちゃう。
結局、俗世間にある欲っていうものは、体にあるものです。
それを分かっていないんです。
そこで地球のものを全部「わたしのものにしてやるぞ」と頑張っている。
世の中で幸福だと思っている一切の幸福、すべてまとめても、それだけじゃないんです。
(続きます
ウェーサーカ法話(2007年5月12日)アルボムッレ・スマナサーラ長老
(https://www.youtube.com/watch?v=sQT_7Z4XbwA を聞いて書きました)
参考外部サイト:
お釈迦さまが、殺生をしないように、嘘をつかないように、よこしまな行為をやめるように、飲酒をやめるように、話をすると、今までそのような行為をしながら生きてきた人々にとっては、耳の痛い話になります。
(略)
欲望、怠け、怒り、嫉妬、憎しみ、などの問題で悩んでいる人も、欲望などの危険性を語られると、おそらく良い気分ではなかったでしょう。昔お釈迦さまに出会った人には、今の人もよく言う「おっしゃることは事実でそのとおりですが、なかなか実行できない」という精神状態が、もっと強くあっただろうと思います。……