質問
「判断は、“絶対的、相対的”に行わないというお話でしたが、幸せについてはどうでしょうか?」
回答(スマナサーラ長老談)
幸せも、まず相対的な幸せがあって、相対性を超えた幸せもあります。
それは、比較するものがないのです。仏教用語にしたらそれを「安穏」といいます。安穏、安らぎ。幸せという単語を使うと、それは当然、相対的ですね。
幸せは、不幸せに相対的です。
たとえば、お金を一円も持っていない人が、お腹が空いてたまらないときに一万円をもらうと、ものすごい大金をもらったと幸せを感じる。なぜならば、自分が今経験していた苦しみに相対的だからです。
そこで、財布に十万円くらいお金がある人が、何かのことで一万円をもらう。
この人はそんなに幸せを感じません。「はい、ありがとうございます」と財布に11枚目の一万円として入れるだけ。でも、二人とももらった金額は同じ一万円なんです。そこは、与えた幸せが相対的だから受け取り方が変わってしまうんです。
百円、五百円のお小遣いをもらっている子供たちに、一万円をあげてみたらどうなりますか。
あの子供たちには理解範囲を超えてしまうんです。だからあまり幸せを感じない。五百円をお小遣いでもらっている子に千円をあげたら、ものすごくビックリするんです。
そういうふうに、幸せとは相対的なもので、
独身の人は結婚すると幸せを感じるし、結婚している人は離婚できたと幸せを感じる。
結婚生活が不幸ということにならないと、離婚は幸福にならないでしょう?
結婚生活は不幸ではなかったんだけど、いろいろなことがあって仕方がなく離婚する場合は、離婚が不幸だと感じます。
だから、幸せというのは苦しみに相対的なんです。
相対的ということが消えちゃうと、安穏が成り立ちます。
(終わり)
東京 法話と実践会 2017.04.23 よりメモしました。
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