今月9日にスマナサーラ長老による法話「幸せの育て方」が、東京・中野にて行われました。
動画はこちらに
Twitterによる法話メモはこちらに
スマナサーラ長老の法話メモ(@jtba_talk)/2017年04月09日 - Twilog
このツイートの中で最もリツイートが多かったのはどれだったかというと……
ブッダの提案;楽を得るのではなく、苦をなくすこと。
— スマナサーラ長老の法話メモ (@jtba_talk) 2017年4月9日
こちらでした。
(4/13現在)
講演では、このあと「苦をなくす正しい方法」についてレクチャーがありました。
苦を感じる一つに「将来への不安」があると思いますが、
「将来を心配するならば、“与える”ことを実行してください。そうすると、“得る”ポテンシャルが現れて、明日を心配する必要がない生き方ができます」(スマナサーラ長老談)
という解決法があるとのこと。
では「与える」ってどうすればいいのでしょう?
(動画では、2:27:00ころからです。)
- 慈悲の冥想を「与える」行為にする(ほかの生命にお布施する気持ちで慈悲の冥想をする)
- ほかの生命に役に立つことをする
- 相対の次元を超える
- 与えること=捨てること
箇条書きに書き出してみると、さらに疑問が深まった気がしますが、「相対の次元を超え」て与えるとは、一体なんのことでしょうか?
動画では2:40:00ころになります。まずはそちらを見ていただくこととして、ここからはわたしが理解したことを書きます。
たとえば、一万円があるとします。それで靴を一足買ったら、靴一足分の喜びを得ます。
一万円 = 靴一足
次にもう一万円があります。 薬が買えなくて困っている人に、その一万円をあげます。「よかった」とあげた方も喜ぶ。その喜びはプライスレス。思い出すたびに喜びが蘇る。喜びはモノではないので、誰にも壊すことができない。
一万円 < ほかの生命の役に立った喜び
これが執着を捨てるステップになるそうです。
執着を捨てるのも、徐々に、ステップ バイ ステップ。
この「与える」ことが入り口になるのですね。
そのようにして一歩一歩進んだ先に見えてくる景色が、最後に紹介されました。
一切の執着を一発で無くすことはできない。執着の経験は過去無限まで遡る。日常で、執着を捨てて得る安らぎ・安穏を体験してみます。現象の世界から、空の世界へ。一切現象に対する執着無くなったら、究極の絶対的安穏に達します。(涅槃)
— スマナサーラ長老の法話メモ (@jtba_talk) 2017年4月9日