<前回>
生きる目的はなんですか?(3) - ブッダ ラボ - Buddha Laboratory
皆さんはこちらで冥想会があるからときましたが、その日にちを決めた時からも、ストレスがかかっています。
この日に行かなくては、この時間に出発しなくては、と目的があるでしょう。そこにストレスがかかります。われわれは人間だから、やっぱりそこはちょっと仕方がないんですが、この問題を解決する方法があります。土曜日は、日曜日のことを考えてストレスを感じる必要はありません。それは明日ですからと。それは明日があるならばの話でしょう。自分に明日がなければ、こちらに来ることはないでしょう。
そこで仮に出て来る目的というのは、俗世間だからです。
本当は今日は日曜日ではありません。これは真っ赤な嘘。人間が勝手に名前をつけたんです。一週間が七日間だと勝手に決めたのです。十日間でもいいのに。そういう俗世間が勝手に作った妄想概念に沿って、われわれは目的を作ったり計画を立てたりします。その点でストレスがかかります。
そこで別な道を発見するのです。
それはいたって簡単。今、こうする。それしかない。今やるべきことはあるんです。それをやりながら、次これ、次これ、次これ……と。次にやることはわかりますからね。
そうやってやると、ストレスがなく、何の問題もなく淡々と仕事が進みます。
料理を作ると考えちゃうとすごくストレスです。
これも人間が勝手に作った概念です。まず、何を作るか考える。これは頭の仕事です。何を作るか決めたら、次の仕事が現れる。それが終わると次の仕事が現れる。料理が出来上がったら、次の仕事がまた現れてきます。それが終わったら次の仕事が現れます。
順番は飛ばせませんよ。
因果法則は飛ばせません。一個一個の仕事は大したことがないし、今の行為は過去の行為から現れたものです。今の行為が次の行為を作っちゃう。それで終わり。延々と続くわけじゃないんですね。それだから、なんでストレスを感じる必要があるんですか。こうなったらこうなる、こうなったらこうなる。それは変えられません。
自分の体を使って、その微妙な行為の流れを観察して、何か発見するんです。
何を発見するのかというと、プロセスはあるんだけど、過程はあるんだけど、終着点はありません。目的はないんです。それは物の流れです。
終着点として存在するのは、たった一つだけですね。
それは解脱・涅槃という境地です。それは現象の流れで理解するものじゃない。現象は流れ。他は終わりがない。人間が勘違いしている、何か目的があると。でも死ぬし、それは認めたくない。これっておかしいでしょう、死を認めたくないとは。人間は迷信で知識はないから、死んだら永遠の命があると。イスラム教では、死んだら神は肉体まで再生してくれると。これを真面目に信じています。
目的がないということを経験すると、今の行為をやればいい、それから次の行為が出てくる、それだけです。
そういう生き方が見つかります。
結論として言います。
目的はありません。過程しかない。過程があります。目的はない。過程は続きます。
条件がなくなると、例えば、学校で教える先生が通勤途中で転んでしまって足の骨を折ったら、次の行為は病院に行くことであって学校に行くことじゃないでしょう。もし目的が学校に行くことならば、この人は病院じゃなく学校に行かなくてはいけなくなってしまいます。現実的にも、そういう決まった目的がないことがわかっています。
日本の総理大臣という職がありますね。ものすごく忙しい。脳梗塞で倒れた総理が過去にいました。それでも日本社会は淡々と動いていました。われわれは、そんな重い荷物を背負うことはないんです。一つの行為を終えたら、次の行為をする。こんな目的でやりますと思っちゃうとアウトですよ。
子供にゲームをやめさせる時でも、言い方が悪いんですね。
子供に次これやって、とそれだけ言えば。ゲームを取り上げるぞ、とかね、そうやって精神を健康的に育てることを壊しちゃうんです。
だからわたしたちに希望通りに子供を育てることはできないし、自分自身も希望通りに生きることはできませんしね。将来を描いていなかったならば、その瞬間に完璧なことをやるという人間になっています。
そういうことで瞬間瞬間やることがある。
それをやったことによって次のやるべきことが現れてくる。ちょっとしたことだから、われわれには完璧にできる。問題がない。肉じゃが作ろうと目的を考えるんじゃなくて、玉ねぎを切る。それは完璧にやる。そのあとジャガイモを切ればいいんです。何も事故など起こりません。
今これ、次これ、としっかり完璧にやるというふうに生きれば、ものすごく満足して失敗がなく生きられると思います。
ストレスなく生きられると思います。ストレスをなくす方法は、目的がないとしっかりと体感しなくては。脳が逆に捻じ曲がっているんだから、これは脳にインプットして、インプットして、洗脳が消えるまでやらなくてはいけない。
洗脳が一切消えてしまったら、目的がない、プロセスのみが現れてきます。目的がなく、滝が美しく落ちるような感じで、ただ流れるだけになります。
それをよく覚えておいてください。
(終わり)
最初から読む
生きる目的はなんですか?(1) - ブッダ ラボ - Buddha Laboratory
<東京 法話と実践会 スマナサーラ長老 2017年12月10日
https://www.facebook.com/jtheravada/videos/1584500711611792/
法話メモlog http://twilog.org/jtba_talk/date-171210/asc
より聞いて書きました。>